高校時代の通学路

私の通っていた高校は男子校で、指導体制が厳しいことで有名だった。入学することを懲役3年と世間から揶揄されたりしていた。「先生に絶対服従すること」という誓約書に入学時サインさせられる。朝は7時半過ぎには登校し、先生が来るまでに掃除を済ませて全員着席しておく。早朝テストというものがあり、8割取らないとペナルティ。月曜日〜土曜日までほぼ毎日7〜8時間授業。夏休みも約2週間のみ。成績が落ちたり、怠慢な行動には容赦なく罵声や体罰もあり。校則も厳しく、耳に髪の毛がかかるとハサミで切られる。シャツアウトや毛染めは論外。縄跳びの2重飛びを前50回、後ろ20回跳べないと卒業できない。プールは10月半ばに入るまで。など特殊な厳しさが多かった学校だった。

私は、滑り止めでこの高校を受験していたが第一志望の公立高校に不合格でしぶしぶ入学することとなった。

相当気落ちしていた。泣いてはなかったが、毎日泣いているような日々を送っていた。

入学が迫り、通学定期を買う時期が近づいた。私に普段寡黙な父が声を掛けてくれた。「公園から通わないか?」と。

高校の最寄り駅には学校を挟むように2つの駅があった。一方の駅を選ぶと、住宅街を抜ける通学路に。もう一方の駅を選ぶと、公園の中を抜ける通学路になる。

父は続けた。「辛いことがあっても、花や木々の中を歩いていると、前を向けるやろう。」

普段寡黙で、無愛想な、ロマンチックの欠片も感じなかった父が言った言葉にすごく違和感と意外性を感じたことを覚えている。

高校は3年間欠席なしで通したが、毎日公園の中を通った。厳しい日々、緊張する日々も多かった。不況で父もリストラとなったりで、家庭の経済、将来性に対しても不安があった。でも今のもととなる考え方や、出会いのもと。苦境との向き合い方は全てこの高校時代からはじまっており、私の原点だと思う。

花壇には自分の荒れがちな感情と関係なく、季節の花々が咲き、ゆったりとした空気が流れる。一本の広い道の両脇に花壇が並ぶメインロードが特に印象的。毎朝通っていくのは、やはり気持ちが良かった。

土曜日は子どもたちの駆け回る笑い声が聞こえる。緊張しがちな日々に和らぎや、彩りを与えてくれた。

時が経ち、写真撮影の場所にこの原点の地、私を和ませてくれた場所を迷いなく選んだ。花壇は昔と変わらずあった。何も変わっていない。まだ寒さは残っているが、春の息吹を感じさせる暖かい日差し。梅が咲いている。

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耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花うるわし)という言葉をふと思い出した。梅の花は冬の辛い寒さに耐えるからこそ美しく咲くのだ。という意味。高校時代も、人生の冬だったかはわからないがそのような体験をしたからこそ色んな有り難み。欲しいものが明らかになったとも思う。

今から考えると、親父もリストラ前の不況期。管理職でもあったので、日々先行き不安を感じたりしていたのかもしれない。緊張の日々を通勤の道沿いの花を見てほんの少し和んだりすることがあったのだろう。そんな気持ちを私に重ねて、この通学路を進めてくれたんじゃないかとも推測する。

高校時代は父と不和になり、反発したりもしたが、今回通学路の真ん中に立ち、改めて3年間通わせてくれてありがとう。と思った。

心が辛いなと思ったときには、自然の中に行く。公園を散歩してみる。そんな何気ないことが自分の心を救ってくれることもあると思う。この投稿を読んでいて、もし思い詰められている方がいらっしゃったら、一度緑豊かな公園に足を運んでほしいなと心から願う。

色んな思いとともに、不器用な親父を思い出す高校時代の通学路なのだ。

ありがとう。感謝を込めて。

#通学路 #公園 #心辛いとき #リラックス

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