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君/笠岡栄

 

 町から町へ移動を続ける人は何を思い、何を求めているのでしょうか。ふと、そんなことを考えました。それはきっと、自分がそうやってどこかを巡り歩いていたことがあるから。その時は、ただ目の前のことに夢中だったから。でも、こうしてしばらく一所に留まってみるとその日々の事を思い出すことができます。でも、急に自分のことに重ね合わせて考えられるほど器用じゃないし、それは少し気恥ずかしいことでもあるから、自分とは違う人を想像して、その人はどんなことを思いながら歩いているのだろうか、なんて考えてみます。
 明日すべきこと、明日行くべき場所の決まっていない生活というのは自由です。自由ですが、それは同時にとても不安なものです。ですから、人は何かに頼りたくなったり、誰かに知ってもらいたくなったりするのだと思います。そういった感情は決して否定されるべきものではなくて、寧ろとても大事な物のようにも見えます。おそらく、人間がこれほどまでに社会性を保てている一つの理由にもなりうるでしょう。ただ、時に我々はこうした連続性の輪の中から抜け出したくなるという事も事実です。そうやって飛び出した人は、飛び出した先で新たな輪に入るのではなく、その先でもまた異邦人として輪の外部に置かれます。そうして一度輪の中から出てしまった人間は、自由というものの代償に何かとても大事なものを犠牲にしてしまうのではないでしょうか。
 ねえ、自由って何ですか。貴方は自由という言葉にどんな意味を与えていますか。何を感じているのですか。何を見つめているのですか。そうやって、揺れる夜汽車の中で問いかけます。そしたらきっと少し切なそうな目でポツリ、ポツリと話してくれるのではないでしょうか。
 旅は人を若返らせる、なんて言われたりします。本当にそうでしょうか。ここでは、人それぞれ、なんていう軽率な言葉は控えておきましょう。寧ろ旅は人を老いさせるのではないでしょうか。旅なんてお洒落な言葉を使うと、文章が薄っぺらに見えてしまいますね。つまるところ、日常からの逃避です。その逃避の中で彼は、彼女は、自分が変わっていく、そのことをまざまざと見せつけられます。若さとは変わらないことによって保たれるものですから、もはやその人は若くあることはできないのです。
 老いとは変化によって象徴されます。どんなに変わらないことを求めていても、人は日々変わっていきます。目に見える部分、目に見えない部分、言葉にできる部分、言葉にできない部分。多くの場合そのことは覆い隠されているものですが。我々はその覆いが取り去られたときに、襲い来る激流に身を任せることができるでしょうか。
 旅は自由です。私たちが行く先で、きっと私たちは独りきりです。だからこそ今まで家族や友人や常識といったものに覆い隠され、大切に守られてきてしまった私たちを知ることができるのだと思います。自分はいつだってすぐそこにいるのだけれど、時に私たちはそれを忘れてしまいます。
                               
                               笠岡栄




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