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閉館はホテルの死なのか?(ホテルに泊まって思考ドライブ ⑧:HOTEL CLASKA)

さて、前回はHOTEL CLASKAの宿泊記録を書いたが、今回は宣言通り、昨年12月に閉館となったこのホテルの歴史とCLASKAの今後の展開を通して、「時代の流れとホテルの関係性」みたいなことを考えてみたい。

この1週間、会社の行き帰り等の隙間時間で、このホテル運営体制の変遷を調べようとしていたが、あまり体系だった記録は見当たらなかった。なので以下の話は憶測も含まれてしまうが、各所ネット記事でその変遷を垣間見ることができたので、追っていくことにする。

第1期:2003年~2008年

前身となるホテルニューメグロが開業したのは1969年。宴会場や結婚式会場も有したシティホテルとビジネスホテルの間のようなホテルであったようだが、「都市デザインシステム(現UDS)」の広瀬さんという方が中心で企画・プロデュースを手掛け、2003年にリノベーションホテルとして HOTEL CLASKAが開業した。

開業当初の運営は「トランジット」。下記事によると、縁あってトランジットの中村社長がチームに参画したのがきっかけのようだ。トランジットという会社もUDSと同様に企画やプロデュースに強く、施設運営まで熟してしまう会社であり、このホテルの開業初期の段階で運営委託を受けている。

そして開業1年で、2004年に「コンシーズ」という会社が設立されホテルの同社に経営が移管される。(「移管される」と書いたものの、移管前の経営主体がどこにあったかは定かではない)ちなみに、このコンシーズという会社は、HPに「コンシーズ設立」記載があることから、岐阜の「美濃屋」というアパレル会社が出資していることは間違いない。どういう経緯で、美濃屋が関わることになったか推察の域はでないが、おそらくホテルのオーナーだと思われる(今度登記を取ってみたい)。アパレル系の会社ということもあって、デザインへのアンテナが高い会社なのだろう。

開業当時の2000年代前半はつい最近のような気もするが、15年以上前のことだと考えると隔世の感もある。インテリアデザインには鄭秀和氏を起用し、当時日本では珍しいデザインホテルとして注目されたそうだ。そもそもクラスカの名前の由来は、「どう暮らすか?」というところからきており、ライフスタイルホテルの先駆けといっても過言ではない。

1階にはDJブースのあるバーやドッグトリミングサロン、2階・8階はイベントスペース、屋上にもテラスと機能が盛りだくさんで、様々なイベントを通して、デザイン感度の高い人が自然と集まるようなオシャレスペースとして認知されていく。客室の半分は長期滞在を目的としたレジデンシャルホテルとなっており、長期滞在の外国人も多くいたようだ。

第2期:2008年~2020年

そんなライフスタイルホテルの先駆けとして注目されていたCLASKAは2008年に第2幕として大幅にリニューアルを行っている。新たに"NIPPON"をテーマに、インテリアやエクステリアなどのデザイン面だけでなく、カルチャーを発信する場として、再始動した。

開業当初は2階にあったイベントスペースが3階に移動し、2階には工芸品や雑貨を取り扱うCLASKA Gallery & Shop "DO" がオープン、合わせて、客室やレストランもコンセプトと合わせて小規模にリニューアルされた。

開業5年でリニューアルというのは早すぎる気がするが、運営スキームの変更が理由と考えられる。下記事をみてみると、

今回のリニューアルにあたり、ホテルの総合プロデュースを手がけた「都市デザインシステム」(渋谷区千駄ヶ谷1)と運営を受託していたトランジットジェネラルオフィス(目黒区上目黒)は、両社とも経営から完全に離れる。

とある。2008年まではコンシーズがトランジットにホテル運営を委託していたのだと思うが、UDSの関わり方は不明。もしかすると、両社と美濃屋とが、コンシーズに合同出資していた可能性もあるが、この2008年のタイミングで経営から切り離されているということで、ここからは「コンシーズ」が単独でホテルの経営・運営を行っている。

2階にオープンしたCLASKA Gallery & Shop "DO"は2009年の渋谷パルコを皮切りにドンドンと店舗を増やしていき、ホテルの方も2015年の客室リニューアルなど、街に開けたライフスタイルホテルとして常に進化を続けてきた。

なお「コンシーズ」は2018年にホテル名であり、ショップのブランド名でもある「クラスカ」に社名を変更している。

閉館とその理由

しかし、2020年12月に閉館となってしまった、ということは前記事にも書いた通り。理由は、

竣工から51年が経過している建物の老朽化が進み、今後の保守整備や改修が困難な状況であることと、地権者との定期建物賃貸借契約の見直しのタイミングが重なったため

だそうだ。2020年の春先にプレスリリースが出されたが、ホテル運営や会社経営の立場にない利用者・ファンからすると「なんで閉館しちゃうの?もったいない!」という話にみえる。実際には、このプレスリリースまで、再契約条件の交渉、リニューアルの計画等、いろいろ延命の検討がなされたと信じたいが、結果としては、かなり現実的な形でホテルが最期を迎えることになった。

実際に、閉館の少し前にこのホテルを知って一晩宿泊してみただけのニワカからすると、ライフスタイルのホテルの先駆けとしてのこのホテルのコンセプトはとても面白いけど、あちこちにガタが来ているし(特に外壁周り)、少し尖りすぎてて客室は使いづらかったりもするし、確かに「ホテルの寿命だ」と言われたら、それはそれで納得はできる。

同時に地元からも旅行者からも愛されるホテルだったのも身に沁みた。1階のレストランは朝食を食べようにも予約でいっぱいであったし、チェックアウト後に2階のショップを覗いてみると閉店セールだったこともあり、かなりのお客さんがみえ、ファンが多いように感じた。

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ミームが残るなら……

惜しまれつつ閉館を迎えたクラスカ。一軒のホテルが生まれ変わり、そしてまた死んでいったのだが、noteの記事の中でも、閉館を記念して宿泊記録や想い出を綴っている人たちがいる。それほどまでにこのホテルが人々の記憶に残っているということだろう。

ところで「ミーム(meme)」という概念を知っているだろうか。遺伝子(Gene)が物質的・肉体的な "次の世代へのバトン" であるとすると、ミームは情報的・観念的な "次の世代へのバトン" のようなものだ。なぜ、突然こんな話を始めたか、というところで、そろそろこの長い思考ドライブもまとめに入りたい。

ホテルを1つの建物として捉えた時には、物質的なものであるので改修やリノベーションをおこなったとしてもやはり「寿命」というものがある。一方で、ホテルを「カルチャーを発信する場」「メディア」として捉えるなら、そのホテルで培われたミームは次の世代へ受け継がれる。

現にHOTEL CLASKAが誕生して20年足らずで、日本にはたくさんのライフスタイルホテルができて、ホテルデザインや滞在の仕方など、いくつかのパラダイムシフトがおきた。さらに、ホテルという場所を拠点として誕生した「CLASKA Gallery & Shop "DO"」というライフスタイルショップは今や20店舗の実店舗とオンラインショップに成長して、こちらはホテルが閉館した後も営業・展開を続けるようだ。

閉館は1つのホテルの死かもしれない。が、しかし、ホテルのミームが次の世代や領域に引き継がれていくなら、それは悲しいだけの出来事じゃないと思う。1軒のホテルの閉館から、そんなことを考えている。

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過去記事はこちらから。




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