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仕事辞めてロシア留学したら戦争始まって計画パーになった話~モスクワ留学・博物館周遊編~

・2022年2月14日月曜日 モスクワ留学第十七日目

 隔離期間の7日目のこの日、朝一番の時間にPCR検査を行った。結果は無事に陰性であった。モスクワ市の指針に従えば、この日から自由に外出をしても良い状態になったのである(日本ではダメ)。
 私は意気揚々と大学に向かった。久しぶりの授業参加となり、教室に入った私をクラスメートの皆が温かく迎えてくれたのは嬉しい限りであった。私が欠席していた間、どうやらフランス人とアジア系ロシア人の新しい学生が加わっていた様子だったので、彼らとも軽く挨拶を交わす。一週間ぶりに受けた授業は顔ぶれも変わり、新鮮な気持ちになれたのであった。

 放課後、ウラジミール君が市内観光と全快祝いを兼ねた夕食に誘ってくれたので、私は久しぶりの外の空気を存分に味わえる楽しみで心を躍らせながら、彼について行ったのであった。この日ウラジミール君が案内してくれたのはロシア正教会の教会や、照明博物館という小さな博物館であった。
 私の母校の大学にも教会はあったが、全く趣の異なるロシア正教の荘厳な装飾には驚いたものだった。また照明博物館にはソ連時代の街灯の操作盤などがあり、どれも興味深く見学が出来た。解説文はほとんど読めなかったのだが・・・。
 帰路、ウラジミール君はモスクワメトロのノヴォクズネツフスカヤ駅構内を案内してくれた。上を見上げれば、色彩豊かなタイルで描かれた社会主義時代のモザイクアートが並んでいた。政治色の強いモザイクアートというのは少々不思議な感覚であったが、ロシアらしい光景であり、大変面白く思えたのだった。
 別れ際、ウラジミール君から「明日は自動車博物館に行くぞ」と伝えられる。どうやら戦前の軍用車両を展示している博物館に連れて行ってくれるとの事であった。楽しみだ。つい先日までの不調は一体どこへやら。身体の具合はすっかりと良くなっていたのであった。

ソ連時代の街灯操作盤
駅の天井にはこのようなモザイクアートが並べられている
政治色の強いモザイクアートは新鮮だ
レーニンは常にあなたのそばにある
ロシア正教会は独特な雰囲気がある


・2022年2月15日火曜日 モスクワ留学第十八日目

 大学での授業が終わり、例のごとく放課後にはウラジミール君が学校の外で私を待ってくれていた。これが同年代の女の子であればこれ以上に嬉しいことはなかったのだが、それでもこうして外国人の私を甲斐甲斐しく面倒見てくれる友人がいてくれるというのは大変に幸せな話であった。
 この日訪れた自動車博物館には、戦前のソ連軍の軍用車両をはじめ、ドイツ、日本、アメリカ等の車両も多く展示されており、ミリオタとして私は終始大興奮なのであった。生のケッテンクラートを目の当たりにしたときの興奮たるや!まるでジャニーズアイドルを地元で見かけた女子高生の様なはしゃぎようであった。そんな興奮した私にウラジミール君が一言「明日は郊外の技術博物館に、週末にはクビンカに連れて行くよ!」と教えてくれた。どうやらこれから毎日戦車三昧の日々が続くようだ。感動のあまり涙が溢れそうになるのであった。

自動車博物館には戦前の軍用車両が並べられていた
ケッテンクラート、少女終末旅行で有名になった 
生T-34とご満悦の私


・2022年2月16日水曜日 モスクワ留学第十九日目

 この日路線バスで移動する私とウラジミール君は、技術博物館(リンク先公式サイト)を目指していた。バス停を降り、膝上ほどもある雪をかき分け、時に足を雪に取られ、時に凍結した道路に滑り、ようやくたどり着いたその博物館には、外からでもはっきりとわかる程に戦車の大群が列をなし、その威容を誇っていたのであった。

 ソ連戦車の軍団だ。

 T-80,T-72,T-64,IS-3といった有名戦車から、Obj-757,T-44のような試作戦車やマイナー戦車も展示されていた。目を移せば自走砲や歩兵戦闘車、戦闘機なども所狭しとひしめき合っていた。当然ながらどれもこれもが本物で、そして全ての展示物に触る事が出来たのである。私は手近なところにあった戦車の装甲を手で叩く。冬の寒気に晒された金属の塊はとても固く氷の様に冷たかったが、それに触れる私の手と心は熱く燃えていた。殺戮兵器に触れているのに無邪気に興奮していたのだった。まるでおもちゃを買ってもらった時の子供の様に。

野外展示で整列するソ連戦車一同
戦車の街道
T-44
Obj-757


T-62
IS-3とご満悦の私


 野外展示の中にはドイツ戦車もあった。軍用列車に載せられたⅢ号戦車だ。生のドイツ戦車を目の当たりにしたのはこれが初めてであったので、私は心から感動していた。日本では写真や画像でしか見ることのできないドイツ軍戦車の、まさしく第二次大戦を生き延びた実物が展示されているのだった。そしてよく見れば戦車を搭載している鉄道にはドイツの国章、鷲の紋章が飾られているではないか。一部が見えないように隠されてはいるが、それは間違いなく第三帝国時代の紋章だった。Ⅲ号戦車がドイツの蒸気機関車に搭載され、展示されている。これが興奮しないでいられようか!


Ⅲ号戦車
隠していても鍵十字はよくわかる
Ⅲ号戦車別アングル
機関車全体像

 そして私を迎えてくれたのは何も独ソ戦車ばかりではなかった。日本の三式中戦車、アメリカのM4戦車、英国の巡航戦車クロムウェル、チェコの35(t)もよく見れば展示されていた。
 野外展示だけでこのボリュームである。屋内に入れば一体どれほどの展示が私を待ち受けているのであろうかと、この日の興奮は最高潮に達していたのであった。

 興奮冷めやらぬまま博物館に入ると、屋内には独ソ戦を模した戦場ジオラマが展示されていた。もちろん実物を交えてである。実物のソ連戦闘機を用いて野戦陣地の様子が再現されていた。またBf109F型の実機も展示されていたのは、大変に興味深かった。屋内には兵器ばかりではなく、第二次世界大戦以前に生産されていた各国の自動車や、バイク、飛行機、果ては宇宙船ボストークなどが展示されており、技術博物館の名に恥じない所蔵品の数々であった。こういった博物館を巡れたことは、モスクワ留学をしてよかったと思える理由の一つであった。

 実はこの日、在モスクワのとある日本人の方と飲み会の約束をしていたので、ウラジミール君と別れた後、私は市内へと急ぎ戻った。干支二回りくらいは上であろう中年の男性と落ち合い、市内のとあるバーで飲みあったのである。この飲み会は、久しぶりに日本人と日本語で話すと言う事もあったが、仕事や趣味の話で意気投合しとても楽しい酒を飲むことが出来たのだった。よもやモスクワで80年代日本車の話が出来るとは思ってもみなかったのである。ほろ酔い気分でいい頃合いとなった我々は、改めてもう一度一緒に飲みましょうと約束をし、別れたのであった。歩き過ぎで少し痛む足ではあったが、ステイ先へと向かう足取りは軽やかであった。

35(t)と大破した三式中戦車(右)
実物のBf109は初めて目の当たりにした


・2022年2月17日木曜日 モスクワ留学第二十日目

 この日は大学の先生によってナイトパーティーが開催されることになっていた。様々な国や地域から集まっている留学生同士の親交を温め、ロシア文化への理解を深めようという会である。レストランを一部貸し切り、ロシアの料理やお酒が出されるとの事であったので、私は参加を強く希望した。前回、ドイツ人クラスメートの送別会に参加できなかったリベンジのつもりであった。だが総勢で30人近く参加するとの事だったので、うまくコミュニケーションを図れるかが少々不安であった。しかし失敗を恐れていては外国語などは身につくものではない。ノンネイティブなのだから間違えて当然だと開き直り、酒の力を借りでガンガンと話してやろうじゃないかと私は自らを奮い立たせたのであった。

 大学から一時帰宅した際に、ホストファミリーには夜遅くの帰宅になるかもしれないと伝える。夕方にはステイ先を後にし、私は会場へと向かう。パーティーの開始は19時からだったが、私が到着したのは19時30分であった。日本的に言えば遅刻であるが、ここはロシアだ。どうせ誰も時間通りに来ないだろうと予想し、やや遅れて到着することにしたのであった。
 果たして私の予想は当たったのだが、状況は予想以上に酷い物であった。20時を回った頃になってもメンツは半分程度しか集まらないのである。ホストを務めてくれた先生の、あの何とも言えない悲しそうな顔は決して忘れることはないだろう。まだ来ていない生徒に電話を掛けたり、店員に頭を下げている様は見ていて心が痛ましいものであった。しばらく何名かに電話を掛けた後、もうそれ以上集まらないと諦めたのか、先生はパーティーの開催の口上を述べたのであった。

 1時間遅れのパーティーの始まりだった。みんなが思い思いに料理を食べ始める。そんな中でも先生はウォッカの瓶を手に、生徒に注いで回ろうとしていた。しかし酒を飲もうとする者は誰もいなかった。体質や宗教の問題もあるだろうが、私に言わせれば、こういった場ではせめて口を付けずとも手元に置いておくのが礼儀だ。しかし誰もが「ニェットスパシーパ」と先生の酌を断っていった。減らない瓶を持って回る先生の姿に、とうとう痛まれなくなった私は「俺は飲みますよ!」と一人だけグラスを差し出した。瞬間明るくなった先生の顔は、何かに救われたような表情をしていたように見えた。
 私はなみなみとショットグラスに注がれたをウォッカを一気にあおった。喉が熱く焼ける。だがこれこそが度数の高い酒の楽しさでもある。大学と金融で鍛えた日本式宴会芸を見せる時が来たのだ。「おかわり下さい!」と景気よくいう私に、みんなが手を叩きはやし立てたのであった。それからというものウォッカが私のグラスからなくなることはなかった。

 1時間も経った頃には一人の酔っ払いが出来上がっていた。ショットグラスで少しずつ飲むとはいえ、40度のウォッカはなかなか強烈だ。さすがに前後不覚になるほど弱くないが、それでもそこそこ酔っているのが自分でもわかるほどであった。気分がよくなった私は、気が付けばロシアの民族衣装に仮装したレストランの従業員と一緒に踊り始めていた。回らない舌で歌を歌いショットグラスを片手に踊る私の姿は、日本人がその場にいれば昭和のオッサンそのものに映っただろう。しかしパーティーや飲み会とは斯くあるべきだ。空気、料理、酒、手の付けられない酔っ払い、これら全てをひっくるめて楽しまない人間は飲み会に参加するべきではないだろう。

 この後の記憶はあまり定かではないが、ひとりごとを呟き、時には歌いながら夜のモスクワを千鳥足で闊歩し、ステイ先に帰宅したのが午前1時を回っていた頃だったという事だけは覚えている。


追いはぎや盗難に遭わなかったのは幸いであった。

友人が撮影してくれた酔っ払って踊りだす私(左から2番目)


・2022年2月18日金曜日 モスクワ留学第二十一日目

 二日酔いどころかまだまだ本酔い状態であった早朝7時、私は起床した。この日は待ちに待ちかねたクビンカ戦車博物館に行く日だったのである。例のごとくウラジミール君は私をステイ先の近くで待っていてくれた。どうやらウラジミール君の友人が自動車を博物館まで出してくれるとのことであった。バスや電車では乗り継ぎがあるが、自動車であれば目的地に着くまで降りることはない。これ幸いと私は社内で爆睡し、身体に残ったアルコールを少しでも分解しようと小さな抵抗を図ったのであった。

 1時間程車に揺られ、クビンカ博物館を擁するパトリオットパークに我々はたどり着いた。多少はマシになった頭をうごかし、運転手にお礼を伝えて降車した。そこはパークとっても公園と言うよりもむしろテーマパークと言ったほうが良い所であった。兵器のディズニーランドとも言えるだろう。ひたすらに広い敷地には遠目からでもわかるほどにソ連製の戦車、戦闘機、輸送機、ヘリコプターなどが数多く野外展示されていたのである。しかしこれらは今回のメインのお目当てではなかった。世界中にここだけしか存在しない希少な戦車こそが、私の目当てなのである。

屋外に展示されている戦車、さながらウェッジウッドのティーカップだ

  展示棟の入り口を抜けると、そこは戦車の天国であった。先日訪れた技術博物館をはるかに上回る数、種類の戦車が展示されていたのである。ソ連やドイツはもちろん、アメリカ、イギリス、日本、ポーランド等の戦車が展示されていた。目の前にはタイガーやパンターが触れられる状態で展示されている。Ⅳ号戦車に至っては車体に乗る事すら出来たのだった。酔いはいつの間にかどこかに吹き飛んでいってしまっていた。私は先日の技術博物館での興奮以上に興奮し、世界中でクビンカ博物館にしかない戦車を舐め回すように見て回ったのであった。
 好きな女の子にはとてもではないが見せることが出来ない程興奮しつつ、私は別棟に移動した。そこではついにこの博物館の目玉、ドイツ軍の試作重戦車マウスとの邂逅を果たしたのである。その大きさ、その威容は正に桁違いであり、他のどの戦車をも圧倒する存在感を放っていたのだった。私は思わずマウスに抱き着いた。触れることが出来るのだから、抱き着いたって問題はないだろう。
ゲームや漫画、アニメなどではその異様な巨体が描かれることは多いが、本物は世界にただ一つ、ここモスクワのクビンカ博物館にしか存在しない。ミリタリーオタクとして一生の思い出が出来たのであった。

SU-14-2はゲームでもお世話になった自走砲だ
ドイツの希少な戦車達!!
ソ連の試作戦車も大量に展示されていた
世界にここだけ!マウス重戦車(ウラジミール君撮影)

 楽しい時間程あっという間に過ぎるもので、閉館時間も近づいてきたために我々は、パトリオットパークを後にしたのであった。行きと異なり帰路は電車を用いた。車両内で私はウラジミール君に最大限の感謝の意を示す。彼はいつも「いいってことよ」と返してくれるのだった。ついでに私はウラジミール君に質問を投げかける。「明日はどうするんだい?」と。明日はサンクトペテルブルクに向かう予定と伺っていたので、出発の時間を知りたかったのだった。

「明日はサンクトペテルブルクに向かう。夜行列車を使うから今夜9時過ぎには駅に集合だ!」


 私は思わず時計に目をやる。時刻は18時前だった。まだ解散すらしていないのに、次の集合時間は3時間後に迫っているのだった。しかしお土産を含めて手放したい荷物は多いし、シャワーも浴びたい気分であった。ステイ先には一度戻る必要があるだろう。


サンクトペテルブルク行きは弾丸ツアーの予感であった。


つづく・・・。

~モスクワ留学・博物館周遊編~ 完


あとがき

 ここまで読んでくださってありがとうございます。

 本当はクビンカ博物館の部分はこの3倍近くは書きたいのですが、あまりも多くなりすぎるので、博物館の写真を含めて別記事にしてあげます。日、独、米、ソ、英、仏などなどの戦車が目白押しです。ぜひこちらも見て行ってくださいませ。

 皆さんはお酒は好きですか?コロナ禍もあり、飲み会には参加が難しい世の中が続いておりますが、飲み会ではちゃんとはしゃげていますか?もちろん一緒に飲む相手や状況にもよりますが、飲み会とは基本的に仲良くなる場だと思っています。そしてお酒は人間社会の煩わしい慣習や建前をすっ飛ばして、相手との距離を縮められる便利なアイテムだとも思っています。それが嫌いだという人がいる事は承知していますが、嫌いな人がいるように好きな人も国籍人種を問わずに多くいるものなのです。
 
 そんなお酒の大好きな私ですが、モスクワでしこたま飲んだのは、さすがにやり過ぎだったと反省しております。とは言え、参加者が半分足らずで誰も酒を飲もうとしない飲み会の空気と言うのは、非常に重々しいものがありました。まだ大往生を迎えた人の通夜や葬式の方が和やかだったかもしれません。誰かがバカになって空気を変える必要があったので、私は進んでその役を買ったというわけでした。その時出されたウォッカはこれでして、250mlの瓶だとは思いますが、それを一人で1瓶と半分は空にしたところまでは覚えています。

 よく急性アルコール中毒で倒れなかったものだと、今思えばゾっとします。酒は飲んでも飲まれるな、ですね。皆さんもどうかお酒にはお気を付け下さいませ。

 さて、そんな二日酔いならぬ本酔い状態で訪れたクビンカ博物館の次は徹夜の夜行列車で800㎞先のサンクトペテルブルク旅行が待ち受けていました。ロシアには日本のような新幹線はありませんので、100km/h少々でえっちらおっちらと移動せねばなりません。もう本当にしんどい経験をしましたが、それはまた次回に詳しくお話ししましょう。お楽しみにお待ちくださいませ。7月から新しい仕事が始まるので、明日までには書きたいところです・・・。

皆様からのコメントをお待ちしております。
誤字脱字等ありましたら、遠慮なくご指摘くださいませ。

それではまた続きのお話にて・・・。

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