見出し画像

20010322 姓名判断

 言葉には何か「気」というか「魂」というものが宿っていると言われることがある。言霊(ことだま)と昔から言われる。もともと言葉は実体ではなく人々の思考を何らかの符丁というか記号や音声に表したものなので、「言霊」というのは当たり前と言えば当たり前のような気がするが、改めて魂が宿っていると言われると何か不思議な気がしてくる。

 特に人の名前というのは、誕生すれば大抵はその人に特有の名前が与えられるので、常に新しい言霊が生まれて来ると言える。一方、例えば路傍の石などの場合、自動車などで踏まれて潰れて細かくなった石のそれぞれは砕かれる前の石とは違っているのだが、やはり石は石という名のままである。
 かなり昔、アメリカで「Pet Rock$${^{*1}}$$」というものが流行ったことがあった。石をペットのように扱ったのである。その石も動物の形に似せたものではなく、そこらに落ちている石をペットのように名前を付けたりして世話をするのである。その石を商品として売っていたのだからアメリカは凄いところだ。無能の人$${^{*2}}$$も顔負けである。日本でも売られていたが、流行しなかった。

 Pet Rockは特殊な例である。通常、路傍の石には人々の関心は殆どないが、生まれてくる赤ん坊には並々ならぬ関心はあるはずで、関心があれば名前が付くし、関心があるので魂が宿るのであろう。ただ魂があると言っても名前だけが一人歩きするのではなく人々が媒介するわけであるから、古代から言われる「言霊」とは少し違うだろう。

 赤ん坊が生まれるとその瞬間は名無しであることが多いが、しばらくすると名前が付けられる。名前を付けられて時間が経つと、初めからその赤ん坊にはその名前しかなかったような気がするくらい、その名前が定着してくる。名前と実体が一致するわけである。そして名前だけでも人々を介して一人歩きできるようになる。つまり本人に一度でも会ったりしたことがあれば、名前を聞くだけでその本人を思い出すことができる。名前そのものが脳に働きかけるわけである。

 従って子供の名付けに気を使う人は多い。漢字の画数を使った姓名判断を用いて名前を付ける人は若い人でもかなりいる。
 私は画数を使った姓名判断を全く信用していない。占い全般をあまり信じていない方であるが、特に姓名判断はその根拠が希薄過ぎる気がするからである。人相学などで顔にその人の性格がよく出るというのは経験上、当たる場合が多いと思う。性格は養育環境、遺伝などによって決まる。顔の造作などは遺伝で決定されるので、統計的に顔でその人の性格をある程度読むことは可能だろう。性格が判ればその人の過去や未来を予想するのはできないことではない。

 しかし名前に用いる漢字やその画数などは名前を付けられる本人とは何ら関連性が出てこない。従って統計も入る余地がない。人との関連性がないという点では占星術などがその代表であると思われるが、歴史が長いせいか体系的な理論が構築されているような印象がある。
 だが、姓名判断はそういう印象が全くない。画数は旧字体で数えるのが正しいとする流派もあれば新字体でやるべきだという流派もある。平仮名、片仮名などは画数をどう定義するかも流派によって異なる。画数の組み合わせでその名前を持つ人の運勢を見ようとしているのに、その根本となる画数が同じ字でも流派によって変わってくるようでは非常に心許ない。占星術でいえば、星の運行や位置関係から運勢をどう読むかは様々な流儀があると思うが、ある星を見て「あの星は火星だ」という人がいると思えば「違う、木星だ」という人がいる、ということはないだろう。

 姓名判断が当たらない根拠として漢字以外の文字を使う人々の運勢を占うことができないので、占いとしての普遍性に欠ける、というのがある。文字を持たない民族もあるので、この人々にとっては姓名判断は全くの無力である。ローマ字だろうとヒエログリフ$${^{*3}}$$だろうと文字があれば画数を無理矢理定義することは可能であろうが、文字がなければどうしようもない。

 だが、この批判は姓名判断の占いとしての普遍性を疑問視する根拠として妥当ではない。言葉に「魂」があると考えることができるのは、言葉が人間を媒体として成り立っている以上、どんな言語でも同じ筈である。
 つまりその言語で使われる文字に合った占い方があって当然である。漢字による姓名判断をローマ字に適用するのは無茶なのである。やはり姓名判断が当たらないと考える根拠はそれが体系的理論的でない点だろう。

*1 Pet Rocks
*2 つげ義春 無能の人シリーズ
*3 The Hieroglyph Translator

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?