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20030320 田山花袋の一兵卒と遺構探訪

 田山花袋$${^{*1}}$$の作品に「一兵卒$${^{*2}}$$」という題の小説がある。

 この作品は1908年(明治41年)に早稲田文学$${^{*3}}$$で発表された。花袋は日露戦争に従軍した経験があり$${^{*4}}$$、これを元にこの小説は書かれたらしい。

 「渠(かれ)」と三人称で語られる一兵卒の主人公は豊橋の歩兵第十八聯隊$${^{*5}}$$の所属の設定である。実際に花袋は従軍途中でこの様な人物と出会ったのだろうか。

小説を最後まで読み進んでいくと「渠」の素性が更に詳しく解ってくる。瀕死の渠を二人の男が見守る。兵士である片方の男が瀕死の渠のポケットから軍隊手帖を取り出して、もう一人の男に聞かせるように読み上げる。三河国渥美郡(みかわのくにあつみぐん)福江村$${^{*6}}$$ 加藤平作……。

 豊橋の軍隊で三河国渥美郡福江村の出身。渥美郡は愛知県の渥美半島にあり、豊橋は渥美半島の付け根にある都市である。あまりにも具体的過ぎる。何故この小説の主人公は渥美郡福江村の出身なのだろう。花袋は群馬県出身$${^{*4}}$$なので、愛知県との縁は特になかったのではないのだろうか。

 少し調べてみたらそうでもなかった。花袋は島崎藤村や柳田国男らと共に、画家$${^{*7}}$$の宮川春汀$${^{*8}}$$との交流があったようだ。宮川春汀$${^{*9}}$$は豊橋出身の画家、渡辺崋山$${^{*10}}$$の息子、渡辺小崋$${^{*11}}$$の弟子だった。そして宮川春汀自身は渥美郡福江の出身$${^{*12}}$$なのであった。更に春汀の本名が「加藤平作」ならば面白いが、そんなに甘くはなかった$${^{*13}}$$。

 福江のすぐ近く$${^{*14}}$$には、かつて陸軍の大砲試験場$${^{*15}}$$があった。ここに今でも残る試験場の建物$${^{*16}}$$を探しに行ったのが私の「遺構探訪$${^{*17}}$$」の始まりであった。

*1 田山花袋記念文学館
*2 青空文庫 Aozora Bunko 一兵卒
*3 早稲田と文学 近代文学年表 明治41-45
*4 田山花袋について
*5 TOYOHASHI CITY MUSEUM ART AND HISTORY 明治2年、吉田の町は豊橋に改称しました。
*6 愛知県渥美郡渥美町大字福江付近
*7 日本文化にふれてみよう~図書館は資料の宝庫~ GANGU.GIF
*8 Yomiuri ON-LINE □■ 旅ゅーん!■□
*9 宮川春汀さんって、知ってる? | 渥美半島ぶろぐ | 渥美半島だより【渥美半島観光ビューロー公式サイト】
*10 渡辺崋山
*11 渡辺小華 :: 東文研アーカイブデータベース
*12 やしの実大学:太平洋総合講座
*13 平安人物志 全九巻 目次  人物 10278
*14 愛知県渥美郡渥美町大字中山付近
*15 陸軍技術本部伊良湖試験場(その1)
*16 Rokkaidate.JPG
*17 遺構探訪

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