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20020823 小さな国

 小さな国に惹かれる。以前、シーランド公国$${^{*1}}$$というイギリス軍が第二次世界大戦中に作った海上の要塞跡を利用した国について書いた。領土は要塞の面積しかない$${^{*2}}$$のでバチカン市国よりも小さい。

 ただ、こういった海上の国家というのは簡単に作れる様な気がする。無人島でシーランド公国の様に独立宣言をすれば、諸外国に認められるかどうかは別として現代でも国家を作れそうである。これは国境線$${^{*3}}$$がないからそう考えられるのだろう。

 地続きの国境には地理的な必然性が全くないので、その境界は当事国同士の話し合いだけで決まっている筈である。隣接するする国々に対等の交渉能力があれば国境が存在し続けるが、なければない方の国家は吸収されて国境は消失してしまうのだろう。現代では突然、内陸で独立宣言して国境線を引くのは不可能である。

 そういった歴史の中で内陸に国境線を持つ小さな国というのは特異点というか特別な場所のような気がしてならない。飛び地に惹かれる$${^{*4}}$$のと似た感覚である。

 どれくらいの面積ならば「小さな国」といえるかは特にないが、ルクセンブルク大公国$${^{*5}}$$はそれ程小さい国という感覚はない。

 小さな国と言えば、バチカン市国$${^{*6}}$$、モナコ公国$${^{*7}}$$、サンマリノ共和国$${^{*8}}$$、リヒテンシュタイン公国$${^{*9}}$$、アンドラ公国$${^{*10}}$$である。

 私が小学生の頃、アンドラを地図帳$${^{*11}}$$で見つけて知った。当時は国境があるのに国名ではなく地名の様な書き方であった。この記事を書くに当たって調べてみると知らぬ間に独立国になっている。1993年に「アンドラ公国$${^{*12}}$$」という独立国になった。独立前はフランス大統領とスペインのウルヘル司教$${^{*13}}$$との共同統治状態であった。しかもスペインの方は、ウルヘル司教の個人的な統治$${^{*14}}$$でスペイン政府が直接関与していたわけではないらしい。

 独立後もアンドラ公国の元首はフランス大統領とウルヘル司教$${^{*15}}$$となっている。

 元首$${^{*16}}$$が二人という歴史の特異点に相応しい小さな国である。

*1 20010910 シーランド公国
*2 Principality of Sealand, Historical Site through 5 June 2000
*3 20001003 境界
*4 19991229 飛び地
*5 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(ルクセンブルク大公国)-
*6 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(ヴァチカン市国)-
*7 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(モナコ公国)-
*8 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(サン・マリノ共和国)-
*9 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(リヒテンシュタイン公国)-
*10 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(アンドラ公国)-
*11 帝国書院
*12 アンドラ公国(Principality of Andorra)
*13 Seu d'Urgell
*14 ようこそ、アンドラ公国 友好のページへ!!
*15 Andorra
*16 20020315 日本の元首

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