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20020910 しょうや

 名古屋及びその周辺地区では面子(めんこ)のことを「しょうや」と称した。最近は子供達が「しょうや」をやる姿を全く見かけなくなったので、おそらく「しょうや」という言葉は死んでしまったに違いない。

 テレビジョンなどの普及によって、昭和40年代の子供達は「しょうや」が標準語もしくは東京弁で「めんこ」ということは知っていた。しかし如何にも「めんこ」という言葉の響きが軟弱であったので、地元では「めんこ」と称する者はいなかった。

 「しょうや」は「庄屋」と同じように読む。「しょうや」は地面に並べて打ち合う遊技そのものを指す場合と、長方形の小さな面子$${^{*1}}$$を指す場合とがあった。丸いもの$${^{*2}}$$は「丸ぱん」と称していた。「丸ぱん」の中で大型のものを特に「でかぱん」と言った。「しょうや」よりも二回りぐらい大きな長方形のもの$${^{*3}}$$は「ぶとぱん」と言った。これは紙の厚さが3倍ぐらいあったので「太い」から「ぶとぱん」だったのだと思われる。これらの名称は隣の学校になると少し違った名前になったりしたが、「しょうや」はどこでも共通だった。

 遊技の勝敗によって面子の授受があったので学校によっては「しょうや禁止令」が発令されていた。私は特にのめり込んでいなかったが、祖父に「しょうや」を駄菓子屋でねだって買って貰った記憶がある。「しょうや」にろうそくの蝋を塗り込み重量を重くしてひっくり返らないように工夫したこともあった。それぐらい流行った時期もあった。

 幼少の頃は「しょうや」という言葉に何ら違和感を感じなかったのだが、「庄屋」という言葉を学校で習いだしてから何となく気になり出した。

 何故、名古屋では面子のことを「しょうや」と言ったのだろうか。語源の見当が皆目付かない。語源は「庄屋」ではないかと思っていたが、面子と庄屋とはどう考えてもつながりがない。

 もっと古い言い方では「しょうやこ」と言ったらしい。昔の絵柄は庄屋、猟師、軍人などだったようだ。もしかしてこの庄屋の絵柄が代表的であったため面子そのものの名前になったのだろうか。
(※執筆当時の2002年から約10年を経て、「しょうや」の語源がはっきしりした。やはり「庄屋」だった。ジャンケンと同類の三すくみ拳の一種で、「庄屋」「狐」「鉄砲」の狐拳が面子の図案の一部によく採用されていた。この中で「庄屋」が面子の代名詞となったようだ)

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*1 アトムメンコシート3
*2 昔なつかしい民芸、伝統玩具販売(おもちゃ)-面子・めんこ
*3 鉄人28号金色厚メンコ

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