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20020416 稲生物怪録

 稲生物怪録$${^{*1}}$$(いのうもののけろく)という絵巻がある。備後国(現在の広島県)三次(みよし)の藩士、稲生武太夫(幼名 平太郎)の体験記「三次実録物語$${^{*2}}$$」を基にした絵巻である。

 寛延二年(1749)、平太郎が16歳の時、肝試しで行った百物語$${^{*3}}$$がきっかけとなって稲生家に妖怪が出現するようになる。7月1日に一つ目の妖怪に平太郎が掴まれて$${^{*4}}$$、7月晦日に妖怪達が稲生家から退散$${^{*5}}$$するまでの30日間、毎日怪奇現象に遭遇した様子が描かれている。

 出てくる妖怪や怪奇現象は奇想天外$${^{*6}}$$で、石に目や指が生えた蟹$${^{*7}}$$のような物、塩俵が部屋に飛んできて塩をまき散らしたり、串刺しの坊主の頭$${^{*8}}$$が沢山踊り跳ねたり、無数の虚無僧が尺八を吹きながら部屋の中に入ってきたり、どうすればこういう様々な場面$${^{*9}}$$が考えられるのだろうか、と感心してしまう。いや、本当にあったことなのかも知れない。

 私が気に入っているのは、平太郎の知人が尋ねてきて、座って挨拶をして頭を下げるとその知人の頭がぱっくりと割れて中から赤子が次々と出てくる$${^{*10}}$$怪現象である。男の頭から赤ん坊$${^{*11}}$$が出てくると言うのは何から発想したのだろうか。不気味過ぎる。

 7月晦日に妖怪の総大将が出てくる。この妖怪の合図によって稲生家から数々の妖怪達が退散する。この妖怪は上品な武士の姿$${^{*12}}$$をしており、名前まであった。山本五郎左衛門と名乗ったらしい。「やまもと」ではなく「さんもと」と読む。

 一体何がきっかけでこの様な物語$${^{*13}}$$を作ったのか。作者は複数いるような気がしないでもない。何人かでわいわい馬鹿話をしているうちに「こういう化け物はどうだ」と自分が思いついた妖怪を披露し合いながら物語が出来上がったかもしれない。

*1 平太郎の物怪退治
*2 稲生平太郎只今参上仕る
*3 稲亭物怪図説 | 岩瀬文庫コレクション | 古書の博物館 西尾市岩瀬文庫
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*6 稲生物怪録の30日
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*9 平太郎の物怪退治 - 稲生物怪録絵巻
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*11 20011105 赤ん坊の語源
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*13 稲生物怪録紹介

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