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20030818 カノン(2)

 「歌音」と書いて「かのん」と読ませる$${^{*1}}$$場合があることを書いた。よく考えてみるとこういった音の変化は、あり得るのではないかと思えてきた。「観音」の様に「おん」の前に「ん」がないと「のん」とは読めないにも拘わらず、「音(おん)」を前の音に関係なく「のん」と読むのが一般化する可能性はある。

 「春雨」は何故「はるあめ」ではなく「はるさめ」と読むか。「はるあめ」では少し発音しにくいので、調子を整えるために「あめ」が「さめ」に変化してきた$${^{*2}}$$のだろう。なぜ「さめ」なのか分からない。「かめ」でも「ため」でも良さそうだが、「さめ」である。「小雨」「村雨」「氷雨」「霧雨」の「雨」を「あめ」と発音すると何となく発音し難いような気がする。慣れの問題かも知れない。

 「歌音」を「かおん」と発音するよりも「かのん」と発音した方が何となく楽である。母音が連続すると何となくであるが、言いにくい。そういえば「真っ青」も「あお」が「さお」に変化している。

 「歌音」を「観音」の類推で「かのん」と読むのはあまりにも蒙昧であるが、母音の連続を避けるために「のん」と読む変化なら違和感はないかも知れない。

 そもそも「歌音」とは一体どういう意味なのか。「音」という字を「のん」とも読むことが出来るという勘違いから出来上がった熟語だから、「歌音」自体に意味はあまりない。「かのん」という音が主体であって、それを表記した「歌音」という熟語は、その漢字の組み合わせで曖昧模糊とした印象を伝えているだけである。

 こう考えると「歌音」から、「音」の読みの変化で「のん」というのが一般することはやはりあり得ないだろう。

*1 20030811 カノン
*2 日本語学概論ブレイクタイム 音と意味との関係〔素材としての文字、用法としての文字〕

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