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無職という魔法

大学卒業時に、やりたいことがない場合、まず平日は、奨学金の返済や生活費を賄うために働いて、休みの日に好きなことややりたいことをやるのが一般的とされている。これは間違いだと社会人になって気がつく。お金は増えるが休みが少ない。

さらに厄介なことに、正社員のなれば、慣れ親しんだ人間関係や安定した給料、ルーティン化された仕事による心地のいいストレスややりがいが、平日で生まれ、休日は友達と遊んだり、溜まったネットフリックスを消費したりして、月曜日が来る。そしてボーナスが振り込まれ、何かを成したかのような錯覚が生まれる。そんな日々は理想的ではないが、嫌ではないという感想を持つ。

気がつけば誰かと結婚し、子供が成人になり、40代・50代になり、初めて暇になる。暇になると、趣味を探す。ここから試行錯誤が始まるのだが、体力がなくなってきているので、回数を多くこなせない。巡り会える確率は20代と比べて低くなり、見つけられない人生に対して後悔が生まれる。そういう40代・50代は自分の人生を正当化するために、大学生や若い人にまずは働いた方がいい、生活費を稼いだ方がいいという教育を施す。それを間に受けた学生がやがて社会人になるループだ。

限りない暇がない限り、やりたいことなど見つかりはしないと思う。自分のやりたいことや興味のあること、情熱の注げることに巡り合うことは運の要素が大きい。ガチャは資金がある人が多く引ける。箱買いできる人はレアカードに巡り合う確率が高い。

際限のない暇があるから、暇に耐えられなくなり、遊びが生まれるし、何かやりがいや充実を求めるから、興味のあることを試行錯誤する。巡り合うまで色々手をだす。全部やってみる。

思い出せば、小学生は遊びだらけだった。ドッチボールや鬼ごっこ、かくれんぼや、さまざまな遊びが誕生した。ボールが一つあれば、何かしらの遊びを考え、試していった。友達の家の前に行けば、ピンポンをおし、特に予定があろうがなかろうが、遊びに誘った。廊下はダッシュするし、学校の帰り道は、道路の白線の上しか歩けないゲームを考え、クリアを目指した。その日々には、将来のことなんて考えもせず、ただ瞬間を楽しくするために、満足するために、生きていた。それができていたのは若さや年齢も要素としては存在するだろうが、管理職で妻子持ちの40代と小学生の違いの中で再現性を持つのは、唯一、暇である。時間だ。

暇になるには、今あることを捨てるしかない。マンネリ化した人間関係、なんとなく付き合っていた恋愛や友人、特に興味はないが、金を稼げるから続けていた仕事、それらをやめてみるというのは価値がある。ニートになってみる。社会と接続を解除してみる。

そうすると、お金がなくなり、生活できなくなるのではないかと心配になる人がいるが、それも幻想だ。生きるのにお金は年収400万もいらない。むしろオーバーワークだ。履歴書に空白期間があると再就職が困難になるが、そういう倫理観の企業には就職しない方が幸せになる可能性が高いし、そもそも、人生に空白なんて存在しない。人は空白があると、大体何かやってるし、何かやってくる。親や恋人に心配をかけたくないという人もいるが、心配するかどうかはその人の問題であって、あなたの問題ではない。むしろ、人はあなたをそんなに心配していない。

ニートになってみると、そんなにお金がなくても生きていけると実感する経験ができるし、お金を稼いでも幸せにならないとも実感できる。むしろお金の価値は自分の人生にとって、小さくなっていることに段々と気がついてくる。これがのちにとてつもない価値を生む。

何かをやめることで、暇になり、いろんなことをたくさん試すことができる。暇を生み出すとは幼稚園や小学生の回帰であり、再来であり、10代に戻る手段だ。無職になるとは、人生を2回以上生きる方法である。そのためには全てを捨ててみるしかない。大切なのは、まずはやめる。やめれば暇になる。暇になると何かをやるということだ。

全て捨てるのが怖い人は、残業しないことから始めたり、20日労働、8日休みの正社員をやめて、20日間休み、8日間労働のアルバイトに切り替えてみたりするのもいいかもしれない。

そうした生まれた時間は全て、興味への試行錯誤で埋め尽くす。朝起きたら、今日は何をしようと考えたりする。毎日、満足するために充実するための挑戦をする。新しいことを次から次へとどんどんやってみる。やってみて、楽しくないなら、さわやかに潔くどんどんやめていけばいい。そして、また試していけばいい。

無職になるとは、大人から子供へのタイムリープであり、時をかける魔法である。これから無職になることの価値が高まってくると思えてならない。


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