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多分みんな踏んでる

2021年の6月から、NPO法人KATARIBA(以下カタリバ)で不登校支援をしています。

元々教育に興味があったわけではないのですが、
当時コーチングを勉強していたので、
「どこか使える場所ないかなあ〜」
と思っていたところ、見つけたのがこのお仕事でした。

自分のお仕事は学校に行けない子のオンライン上での面談。
数あるカタリバの事業の中で、room-Kというオンライン不登校支援の事業に関わらせてもらっています。
結構すごいことしてるNPOなので、教育興味あって知らない方はぜひHPチェックしてみてください。


「自分がどんな経験をしてきたか」
みたいなことは今回書きません。
3月ごろにまた書くと思うので。

今回はなんとなく、
「最近不登校支援してて思っちゃったこと」
書きます。
前提として言っておくと、以下の内容は
「思っちゃった」
と思っています。

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この前担当している子の一人が面談中に、
なんでいじめってあるんですかね?
と聞いてきました。

みなさんならなんて答えますか?
よかったらコメントくださいな。

自分はその時、
「わからんな〜」

・・・

「でも、要るからなんじゃないかな?」
と答えました。不登校の子に。

うん。
小、中学生が変わっている子に違和感を持つのって自然じゃないですか?
そのぐらいの歳で、自分とは違う価値観が存在することを認識して許容するって難しい。

それをするにはあまりにも、日本の教育環境は単一的で、マジョリティが生まれやすいから。
それがいいとか、悪いとかいう気はなくて、
ただ現状、その年代の子に
「いじめは0で」と押し付けるのは厳しくないでしょうか?

なんとなく
自分が受けてきた&聞いてきたいじめに対する教育現場の意識って
「いじめは根絶絶対悪」
的なものでした。

思想自体は別にいいと思うのですが、私たちは
いじめが起きることでしか、いじめを客観視できません。
自分とは違う存在も、疎ましいや嫌悪といった感情も、その取扱方をいじめをきっかけとして学んでいくものもいます。

必要悪とでもいうのでしょうか。便利な言葉に逃げているような気もしますが。

一人がいじめの教育の犠牲になることで、他人である多数が成長する。
いじめられた本人も成長する部分はあるのかもしれません。

決して褒められる考え方ではないですが、そういう教育がなされており、子供の価値観に影響しているのも事実です。


だからどちらかというと私は、

「いじめが起きないようにする方法」

よりも

「いじめを効果的かつ被害最小限に教育として取り上げる方法」

の方が興味があります。
興味があるし、そっちを話題にして深めて欲しいなと思ってしまっています。
どうするかとかは分からないです。
教育勉強してるわけじゃないので。

住み込みしている東京のゲストハウスのベットで、
ビスコ食べながらタイピングしている、
1大学生である国際文化学部国際文化学科
今の鍬崎はそんなこと思ってるって話です。








あー、サンタさん
いいもの俺にもくれ〜〜〜〜〜





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