言葉の重みと思い残し
「君は口が悪い時がある。」小さい時から学校の先生、友人、両親含む親族に言われていた。そのような事を言われても私はどこ吹く風という顔をしていた。また、口が悪いというのは頭の回転が速く正直者であると言われており、私はその言葉をそのまんま信じていた。今日は私の短所であり、今後改善をしなければならない問題であるこのことについて書こうと思う。
小学校で習うことわざであり、私が小学校の図書館で読んだことわざ辞典でこの言葉を知った時、私の事だなと思った。年を取るにつれて中学、高校、大学と進学していた。その中で私は変わらず口が悪く、それが原因で同級と喧嘩したり、人が離れた。その中で心の中に何か空虚を抱えていたのは覚えている。
口が悪い、でも本当は?
インターネットやSNS上で、口が悪い人は頭の回転が速いと書いてあったり論じている者もいる。しかし、それには続きがある。配慮の出来る軽口や場を和ます為に敢えて言う人は頭の回転が速い。私の場合はただの悪口でしかないのだ。ただの自己正当になるが、信頼しているから口が悪くなることもある。また、本当はそう思ってないのに言ってしまった後で気が付いた時には手遅れというのは私の中ではある。これは、自身のプライドが邪魔をして意地を張ってしまうが所以であると痛感している。人が居なくなった時には手遅れである。
言葉というのは美しいものでありまた、刃物でもある。
私は高校時代に1年留学をして思った事が沢山あり、その一つが日本語の美しさである。現地の人も日本人はひらがな、カタカナ、漢字の3つの言語を扱うのは凄いと褒めてくれた。美しい言葉をたくさん持つと言われている日本人の一員に生まれて非常にうれしいと思った。(日本人ならきちんと綺麗な日本語を使いたいから頑張ろうと思う。)話が脱線してしまったが美しい言葉が沢山あるのと同時に人を容易に傷つける言葉は沢山ある。
先週偶然、サブスクでコナンの映画を見ていた時に私の心に留まった言葉があった。
本当にその通りである。この映画は何年前の物かと思い見返した。2011年、今から12年前のものだ。なんで私はこれをもっと早く見返さなかったんだろう。そうすれば、大切な人を失わなかったんだろうにと後悔した。
筆者の後悔とこれから
過去にもここ最近も私は自分の口の悪さで人と疎遠となっている。私の言葉でその人を傷つけてしまった。気が付いた時には手遅れだった。非常に愚かな話である。過去に戻れるのならば、何が何でも謝りたいと思う。自身の口の悪さで大切だった人を傷つけて疎遠になって自分の事を許せなくて自暴自棄になり、自分の殻に閉じこもってそれを繰り返していく21年であった。
人間は言葉をいくつも話せる高等な生き物である。人の心に響く美しい言葉を話せるし逆にその人を傷つける言葉も容易に話せてしまう。
そう、言葉を話せるという事はその言葉や意味に責任を持たなくてはならない。
当たり前な事だと思うけど、少し考えてから話すようにしよう。無論、人間なのだからカッとなる事もある。少しでもいいから落ち着いてむやみに人を傷つけるのをやめよう。
もうこれ以上誰も傷つけたくない。過去の後悔からそのように思えるようになったからここに残しておく。自省して次に活かせるよな大人になりたい。
これを読んでいる人たちへ
ここまで読んでくれた読者様、本当にありがとうございます。読者様の中で友達や恋人、家族がいると思います。時に分かり合えないこともあるはずです。その中でも頑張ってお互いに歩み寄ることや恋人と喧嘩した時にぎゅーっとハグをして頭をなでなですることで落ち着くかもしれませんよ?飴を舐める、お茶を飲む、少し外に出て休戦。落ち着く方法は色々あると思います。落ち着いていないのに落ち着いていると言って相手を傷つけてしまうこともありますよね。(私のパターンでしたが。)カッコ悪くてもいい。プライドを捨てて意地を張らないで相手と話してみたらどうでしょうか?一番駄目なのはキレて思ってもいないことを言う事や相手を故意的に傷つける事です。疎遠になってしまった後に後悔するよりかは少し落ち着いてお話ししてください。ありがとう、ごめんね、これを言えれば大丈夫です。お話し合いができれば大丈夫です。どうか、話し合おうと歩み寄ろうとしている人に意地を張って差し出した手を払いのけないでください。絶対に後悔をします。どうか、これ以上言葉で傷ついて傷つけられた人が少なくなりますように。
おしまい
2023年5月15日 23:13 投稿 再掲載作品
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