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【読書】『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・サンダース/岸本佐知子訳

【ジェノサイドの一部始終を描く大人向け寓話】

小国とそれを取り囲む大国に住むガラクタでできた奇妙な見た目の国民が繰り広げる、大量虐殺の一部始終。現代に通じる要素をちりばめ人間のエゴを描く、面白くも背筋が寒くなる中編小説。

noteの読書感想投稿コンテスト「読書の秋2021」の課題図書の紹介文を全冊読んで、気になったのがこの一冊でした。

160ページでさらっと読めて、風刺がきいて怖いけれど面白い。何度もふと頭をよぎる悪夢のような寓話を、秋の夜長にいかがでしょうか。


作者情報

作者のジョージ・ソーンダース(1958~)は、マッカーサー賞、グッゲンハイム賞をはじめ数々の受賞歴があり、「小説家志望の若者に最も文体を真似される小説家」との異名を持つ人物。本作は「登場人物がすべて抽象的な図形であるような物語は書けるか?」と言われたことがきっかけで生まれました。

翻訳は岸本佐知子さん。原作の独特な雰囲気はそのままにわかりやすくテンポよく訳されていて、読みやすかったです。


有名な独裁者を1人にまとめた集大成「フィル」

独裁者という単語からアドルフ・ヒトラーを想像する方は多いのではないでしょうか。ナチスドイツやヒトラーを風刺した作品は数多く、人気があります。

最近では、ヒトラーが現代にタイムスリップする「帰ってきたヒトラー」や、子どもの想像上の友達としてヒトラーが登場する「ジョジョ・ラビット」(2020年アカデミー脚色賞)など、視点を変えて戦争のおぞましさや洗脳の恐ろしさを描いた作品が話題となりました。

本作は、国民が一度に1人しか住めない小国「内ホーナー国」とそれを取り囲む大国「外ホーナー国」が舞台。内ホーナー人の娘に振られた外ホーナー人の青年フィルは、脳がスライド・ラックから滑り落ちるたびに雄弁な熱演をしては国民を魅了し、独裁者にのし上がっていくお話です。

「国民が1人しか住めない国?」
「脳がスライド・ラックから滑り落ちる…??」

と疑問を持たれた方もいらっしゃるように、
本作の特徴は、極端にミニマム化された世界と独特な登場人物像です。

「八角形のスコップ状の触手のエルマー」や、「巨大なベルトのバックルに青い点を1つくっつけて、それをさらにツナの空き缶に接着したような感じの内ホーナー人」など、想像力を試されまくる描写の数々が出てきます。
とはいえ、国が小さく登場人物も少ないので混乱するほどではありません。

抽象的な描写にすることで特定の国や時代をイメージすることなく、自分の身近なイメージと紐づけて読み進めることができるようになっています。

フィルの人物像について、作者は以下のように語っています。

「私はフィルというキャラクターを、自分たちの敵をモノに貶めておいてから大手を振って抹殺しようとする人間の習性の象徴として書きました」

大衆を熱狂させる演説、税金の徴収、搾取、侵略者の処刑。まさにフィルは歴代の独裁者の言動からつくられた集大成なのです。

また、本作の最後はこのような文章で終わります。

「なぜだか自分でもわからないままに、よりよい世界のことを夢に見る。(中略)いつだって短いセンテンスでわかりやすい正義が語られる、そんな世界を。」

Twitterで自分の正義を世界に発信しては話題になっていた偉い人、最近いた気が…。2005年に出版された本が未来を予言したかのようで軽く身震いしました。


目をつぶったまま全面同意書にサインする国民

この物語ではフィルの独裁に振り回される外ホーナー国の国民の言動も描かれます。

・フィルの演説に心酔して、隣国民を処刑する同意書へ中身も見ずにサインしてしまう支持者
・罪悪感からフィルの方針に歯向かい、反乱分子として処刑される同胞
・一方的に虐げられる移民
・政権をいいように解釈して拡散するいい加減なマスコミ

政治に無関心で耳障りのいい発言をする政党を適当に支持したり、マスコミの言葉を鵜呑みにしたり、程度は違えどどこかで見聞きしたことがある光景。

「よりよい世界を作ろうとした結果、間違えてしまった世界」がどのように作られていくのかを知る中で、私たちにもボタンを掛け違える可能性がある恐ろしさがひしひしと伝わってきました。


短くて恐ろしいフィルの時代が終わっても

ネタバレになるので詳細は控えますが、本作の終盤ではおとぎ話らしい大きな展開を経てフィルの時代が終わります。

しかし、独裁者が去ってもハッピーエンドにはならず、歴史は繰り返される不穏な雰囲気を感じさせて結末を迎えます。

悪しき過去に学ぶ機会を作っても、恐ろしい出来事は今後も無くならないだろうと示唆することで、いつまでも古びることなく、いつの時代も変わらない「今」を描き続ける作品になっているのが秀逸でした。

昔の出来事、海の向こうの出来事と感じている私たちも、実は身近なフィルに洗脳されているかもしれませんよ。



書籍概要

【書籍名】短くて恐ろしいフィルの時代
【著者名】ジョージ・ソーンダース ・ 岸本佐知子
【出版社】河出文庫
【出版日】2021/8/6
【オススメ度】★★★★☆
【頁 数】160ページ

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