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カーディフ・侯爵と夢の城
私はイギリスの中でもウェールズに好意的な印象を持っている。決して他の国に否定的な印象を有しているわけではないが、とりわけウェールズには良い印象がある。
それは例えば、知り合ったウェールズ人の友人が大変ナイスガイであったとか、カナーヴォンの駐車場で地元の人に大層親切にしてもらったとか、そういうちょっとした事の積み重ねによるものだといえる。
今回取り上げるのは、そんなウェールズの首都・カーディフである。
カーディフはこんな街
カーディフ(Cardiff)は、イギリスを構成する4つの国のうちの一つ、ウェールズ南部に位置する同国の首都であり、人口約36万人と最大の都市である。
ローマ時代に砦が築かれたことを機に産まれたこの街は、11世紀にウィリアム征服王によってカーディフ城が建設されたことで発展を遂げる。
さらに産業革命期には近くで産出される石炭の積み出しで発展し、ウェールズを代表する都市として今に至っている。
私が週末を利用してカーディフおよび近郊を訪れたのは秋も深まってきた頃だった。
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市街の中心にやってくると、クリスマスマーケットが始まり街は活気づいていた。
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しかし、どうやらにぎわっていたのはそれだけが要因ではなかったようだ。
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ラグビーのオータムインターナショナルがここ、カーディフでも開催されていた。
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この日の夜、ラグビー・ウェールズ代表の聖地プリンシパリティスタジアムでは5万人の観衆を集め、ウェールズ代表がアルゼンチン代表を4点差で下す激戦が行われていた。
夜ホテルについた際、玄関のカギを開けてもらうために管理人に電話をかけても全く出ることがなく、10分ほどかけ続けてやっと玄関に現れた管理人が「ごめんごめん、ラグビー観てたわ。いい試合だったもんだからさぁ」と言い放ったことから、その白熱ぶりが感じられた。
ハーフタイムに入ったらしく「どっちが勝ってるの?」と聞きたかったが、「勝っ"ている"」を英語で何といえばいいのかわからなかったので、曖昧なリアクションで返すにとどまった。
後々調べてみると、シンプルにwinningでよかったと判明した。
冷静に考えたらまぁそうか。
それから7年ほどの月日が経ったが、以後一度も使う機会は訪れていないので、せめてもの豆知識としてここに記す。
なお、その翌週末は同じカーディフのスタジアムで7万人の観客を集めてウェールズ対日本の試合が行われていた。自宅のTVで観戦したが、最後の最後まで手に汗握る白熱した試合展開であった。「カーディフに行くのがあと1週遅ければ。。。」と思わずにはいられなかった。
日本代表の試合を敵地で観る、という貴重な経験ができたのにと思うと残念だ。
もっともチケットが当日取れたかどうかは怪しいが。
さて、そんなカーディフの街での人気観光エリアといえば、カーディフベイと呼ばれる湾岸エリアがあげられる。
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正面がひときわ印象的な複合文化施設・ミレニアムセンターや、
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多くのレストランやショップが軒を連ねるマーメイドキー(Mermaid Quay)など、ぜひ夜にライトアップされた姿を眺めたい。
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しかし何といっても、街のシンボルといえば中心にそびえるカーディフ城だろう。
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オリジナルの城は11世紀に建設されたといわれるが、もとは西暦50年にローマ人によってこの場所に砦が築かれており、その歴史は古い。
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城門をくぐるとこじんまりとした建物が小高い丘の上にそびえているのがわかる。これが12世紀初頭に建てられたNorman keepと呼ばれる、いわゆる天守閣に相当する建物である。
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残念ながら現在は廃墟となっているが、保存状態の良い塔の部分に登ってカーディフの街を一望、とまではいかないが眺めることができる。
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そして、天守から右手、スタジアム方面に見えるのが住居部分であった建物だ。
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最も古いもので16世紀の居住棟が現存しているが、現在の姿を形作るのに大きく貢献したのは19世紀半ばにこの城を所有した3代目ビュート侯爵ジョン・クライトン・スチュアートである。わずか1歳にして侯爵家を継承して、当時イギリスで最も裕福な人物であったとされるスチュアートは、ヴィクトリア朝を代表する建築家ウィリアム・バージェスのパトロンとして、彼を支援した。
そして、受け継いだこのカーディフ城もバージェスに再建させたのである。
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飾りが印象的な時計塔を横目に、その建物にも入ってみよう。
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立体的に様々な趣向が凝らされたダイニングルームも見事である。
また、図書室も見どころの一つだ。
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が、なんといってもこの城のハイライトは「アラブ・ルーム」だろう。
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中に入ると、大理石の壁面がまず目につく。
そして、天井を見上げると思わず圧倒される。
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ムカルナスと呼ばれるイスラム建築の装飾を用い、24金で絢爛豪華に装飾された木でおおわれているのである。
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エジプト様式を参考にしたとされるステンドグラスも、煌びやかさに拍車をかけている。
アラブがオイルマネーで潤うのはもっと後世のはずだが、なんとなくアラブルームと呼ぶのが大変しっくりくる空間であった。
カーディフ郊外の名城
さて、カーディフが属するウェールズの国は、単位面積当たり最も多くの城を有する古城の宝庫であり、北ウェールズにある名城については以前取り上げた通りだ。
南ウェールズにある名城も、カーディフ城だけにとどまらない。
例えば、
13世紀に要塞として建築されたケーフェリー城がある。
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当時の領主ギルバート・ド・クレアによって、北方からの侵攻を防ぐために建てられたケーフェリー城は面積約120,000㎡を誇り、ウェールズ最大、ヨーロッパでも最大級の規模を誇る。
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その堅牢さは、建造から4世紀以上が経過した17世紀、清教徒革命のさなかオリバー・クロムウェル率いる敵軍の攻撃にも耐えたことで知られる。
その際、砲撃をうけた塔は大きく傾いたものの、現在でもその姿を保っている。
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なお、カーディフ城と同じく19世紀後半に3代ビュート侯爵の手で大ホールの改装が行われている。
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そしてもう一つ。
ウェールズ一美しいと称される城も南ウェールズにある。
それがカステル・コッホ(Castell Coch)である。
ブナ林の中に突如現れるその姿は、堅牢なケーフェリー城と比較すると、どこかおとぎの城のようなメルヘンさを感じさせる。
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カステル・コッホとはウェールズ語で「赤い城」を意味する。
建設の際に赤い砂岩を用いて作られたことから今の名がついたといわれる。
中に足を踏み入れると、赤みがかった石造りの城郭に赤い木枠が印象的だ。
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しかし、さらに特徴的なのはその内装である。
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天井を鳥が舞い、壁面には動物たちが戯れる。
ここは城の居間に当たる部屋であるが、「自然の繁殖力と生命の儚さ」をテーマにしたとされ、中央暖炉の上にはギリシャ神話の女神が生命の糸を紡ぎ、測り、切る様子が描かれている。
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女神の下にいる3人が赤子・青年・老人であるのは、人の誕生・成長・死を示しているのであろう。
もともと13世紀に建てられた要塞だったこの城を、別荘として今の姿に生まれ変わらせたのが、やはり3代目ビュート侯爵と建築家のバージェスである。
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カーディフのマグネット
カーディフのマグネットがこちら。
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ウェールズの首都らしく、国旗🏴に使われる赤と緑を貴重にしたマグネットには、ビュート侯とバージェスの傑作カーディフ城が大きく描かれている。
この時代において突出した才能を有していたバージェスであったが、その作品はあまりの突飛さ、複雑さもあり実現されなかったものも多かったといわれる。
現代でいうザハ・ハディド的な存在だったのかもしれない。
そこに、イギリス一の大富豪であり、同じく熱狂的中世信奉者であったビュート候と出会ったことで、彼の代表作と呼ばれるカーディフ城およびカステル・コッホは実現したといえる。
財と才、その二つが出会った結果、彼らが夢見た中世の理想像は現前された。
そんな傑作は、遠くからでも足を運ぶに値する傑作と呼んで差支えはないだろう。
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