見出し画像

オープンマインド

昨日からあれこれ心配しすぎて胃がキリキリ痛む朝。ロケの前日並みに落ち着かないなんて。

それでも日曜日は早朝から息子のサッカーの試合もないので、10時頃までゴロゴロしていた。日曜日の午前中くらいゆっくり寝ていたい。朝日が差し込むようになったので、息子が早い時間からガタガタしている音で目が覚めたのは仕方がないにしても。

遅めのコーヒーとパンで簡単に朝食を済ませ、少し悩んでから走りに行くことにした。体が重い。遅くまでゴロゴロしている日は大抵そうなってしまう。

お昼を食べて少し調べものをしてから、コロナテストを受けるために、近所のテストブースに向かう。あれ?タッチの差で前に並んだ女性とテストブースの女性が言い争いを始めたではないか。多少の余裕を持って家を出たが、そこまで余裕があるわけではない。テストそのものは5分で終わるからだ。

ふたりの声のトーンがどんどんヒートアップし、声量も上がってきた。近くの店先でビールを飲みながらタバコを吸っている人たちもこちらを見ている。「そんなに騒ぐんだったら警察呼ぶぞ!」とひとりが言い出すくらい、ものすごい剣幕で捲し立てているのだ。うわ、これ長引くやつなのでは。

これ以上、遅くなっては困る。「何が問題になってるんですか。私も約束の時間があるので、先にやってもらえると助かるんですが。」と間に入ってみたが、必要な証明書を提示しなかったらしき女性は、今度は私に向かってとうとうと訴えてきたのだから拉致があかない。

「私はここに住んでいて働いて税金もおさめている。なぜ無料で受けられないんだ」と。それは証明書を見せないからです。そんな単純なことすら通じない相手らしい。決まりは決まり。身分証明書がなければ受けられない。それだけのことだ。

そのうち諦めてくれたので、テストは無事に受けることができたがとんだ災難である。ただでさえ緊張しているのに、出だしからこれだと先が思いやられるではないか。

急いでトラムに乗り、Sバーンに乗り換える。S2が来ない。その次に来た列車も目的地には到達しない。とりあえず少しでも目的地に近づくために乗り換え駅まで行くが、やはりS2が来ないのだ。少し考えてから、また地下鉄に乗り換えられる駅まで戻ることにした。

なんなんだ、今日は一体。

大きく迂回した結果、5分くらい遅れて到着。今日は初めてウクライナからくる人たちの手助けをするボランティアに参加することにしたのだ。慌ててベストをもらって説明の輪に加わる。気をつける点、アドバイスの仕方、基本的な流れなどについて、2名のコーディネーターから簡単なブリーフィングがあった。正直なところ、それらの説明を聞いていてもあまりピンと来ない。ケースバイケースになるだろうし、とにかくバスの到着を待って様子を見ることにした。

今回は多少の意思の疎通はできるので、ロシア語(ウクライナ語)の通訳チームに登録したのだが、果たして自分のレベルで役に立てるのかがさっぱりわからなかった。それで行く前からあれこれ悩んでいたわけだが、オレンジのベストを着て説明を聞いていると、コーディネーターは「オレンジのベストを着ているネイティブに意思の疎通で困ったときは助けを求めてください。」などという説明があり、ますます萎縮してしまった。

「すみません!ネイティブではないんですが、黄色のベストに変えた方がいいでしょうか?」と念の為聞いてみると、少しでもわかっていればオレンジのベストでいいのだそうだ。「だって私よりは意思の疎通ができるでしょう?」なるほど。それを聞いても不安なことに変わりはない。

オレンジのベスト集団で集まって軽く自己紹介。真っ先に聞かれたのが、「どこから来たの?どこでロシア語を習ったの?なぜロシア語を?」というものだった。日本から来てベルリンも長いです、というと「日本から!?で、ロシア語は??」という展開になる。そりゃそうだよなぁ。

他のメンバーの話を聞いていると、出身地もイギリス、ロシア、ジョージア、ドイツ、ウクライナと見事にバラバラ。しかも、ウクライナの女性は自分も数週間前にベルリンの知り合いを通じてベルリンに来たばかりだというではないか。自分も逃げてきたのに、早速自分の経験をシェアしたり言葉のサポートをするためにボランティアに来ているのだ。これにはさすがにびっくりした。

「14歳の息子がいるの。プログラミングを勉強していて、プロジェクトの途中だったのにここに来たんです。強いストレスのせいで体がこわばってしまって、やっと最近はマシになったんだけれど。今はとにかく全て中断している感じ。キエフで十分な生活を送れていたから、別にここに来たかったわけでもないしね。旦那と一緒に来れないでしょ。だから…」帰りのSバーンが一緒になって、ようやく彼女の置かれた状況がわかったのだ。

ボランティアの最中も始終笑顔で、バスで到着していた人たちに色々と励ますように声をかけていたのだけれど。なぜ彼女がベルリンの地理を把握していなかったのか、なぜ全くドイツ語を話さなかったのかがようやく理解できたのである。

「でも、私はここにいる人たちの、なんて言ったらいいのか、オープンマインドなところがとても好き。」

彼女の言った一言がとても印象に残った。

「また会えるよね?」

そう言って私たちは別れた。

どうか元気で過ごしてほしい。心からそう思うし、オープンマインドでありたいと思った。

色んなことがありすぎて書ききれないけれど、行ってみてよかった。

サポートは今後の取材費や本の制作費などに当てさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします!