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場所と出会い

自分に嘘をついていないときはいい出会いがやってくるものなので、今はそれができているのかもしれない。

夏日で快晴だったベルリンをテクテクと歩きながらの帰宅途中に、ふとそんなことを思った。ベルリンにいるからこそ会える人、というようなことはやはりあって、これが日本だけだったらなかなか難しかっただろうな、ということは案外多い。

モスクワで医療クリニックの受付兼通訳のインターンをやっているときにも感じたことだが、日本にいて生活をしているだけでは恐らくNASAの医療スタッフや宇宙飛行士とご飯を食べたりすることもなく、モスクワの日本大使館員やロシア駐在の特派員と話す機会もなかっただろう。モスクワにいるからこその出会い、ベルリンにいるからこその出会い、というものがやはりあるのだ。今から思えば、ベルリンに輪をかけて特殊だったのが90年代後半のモスクワでの出会いである。

そういう意味においては、まだまだ「ベルリンに住んでいる私」を面白いと感じて会ってみたい、と言ってくれる人がいるうちはここにいてもいいんじゃないかな、と思ったわけである。

ベルリンという街はロンドンやパリに比べると、いつまで経ってもマイナーな街だが一部の人には非常に興味深く映るらしい。それはベルリン特有の文化的土壌であったり、多様性を受け入れる姿勢にあったりもするがベルリンの壁という特殊な歴史を持つ街であるがゆえの空気感にあるのかもしれない。

このベルリンという首都としての特殊性というものも、住み慣れてしまうとなかなか気づきにくくなってくる。だからたまに別の街や国を訪れて帰ってくる必要が出てくる。同じところに留まっていると全てが「当たり前の日常」になってしまうので、一度そこから離れて外から見る、ということをやるといい。

ロケの仕事でベルリンを離れて全行程を無事に終え、飛行機からベルリンの上空を眺めるのがとても好きな時間なのだけれど、テレビ塔を見ると「あー、やっぱりベルリンが好きなんだよなぁ」と思えてちょっと嬉しくなる。不思議なことに日本からベルリンへ帰ってきたときも似たようなことを感じることが多い。住めば都、というのはこういうことなのかな、よくわからない。

1995年にベルリンにやってきてからとんでもない時間が過ぎた。正直なところ、2002年にベルリンで就職するまでは暇さえあればモスクワに飛んでいたので、実質住んでいるのはそれ以降だと言っても過言ではない。それでも22年なのだから本当に月日の経つのはあっという間だ。この30年くらいの間にずいぶんとベルリンという街の様子もそこに住む住民も変わってしまった。まさかここまで長くなるとは思っていなかったベルリン滞在。一体いつまでいるのか皆目検討も付かないが今よりはいい方向に進んでほしいと心から願っている。


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