逗子のためにできることをしたい。逗子アートフェスティバル実行委員長 菊池尚さん
(※今回のインタビューを動画にまとめています。よろしければ、動画も合わせてご覧ください。)
逗子で過ごした時間
逗子のタクシー会社「菊池タクシー」の三代目社長であり、逗子アートフェスティバル
実行委員会の委員長である、菊池尚(きくちたかし)さん。
逗子アートフェスティバル2019のメイン会場としても利用されたスズキヤが入る駅前の
ビルが、当時タクシー会社だった頃に、そのビルの2階に家族の住まいがあった。
そして、この自宅で生まれ、小学校4年生までを過ごした。
その後、ビルの建て替え工事のタイミングで、久木の方に引っ越すことになる。
小学校4年生の途中から、自宅と小学校の距離が少し遠くなったが、小学校
6年間を逗子市立逗子小学校で過ごした。
中学校は隣町の鎌倉市まで通い、高校は横浜、大学は都内に通った。
そのため、高校時代からは段々と、逗子には寝に帰るだけの生活になっていった。
実は高校時代に出会ったあるスポーツがキッカケで、大学時代はほとんど逗子に帰るこ
とが無かったそうです。
自転車競技との出会い
高校時代に自転車競技に出会って以来、その面白さに魅了されて
大学時代も自転車競技部に所属し、毎日練習に明け暮れていた。
そのため、大学時代は遠征や合宿に参加することが多く、あまり逗子に帰らなかった。
その代わり、学生時代に熱中した自転車には、還暦を迎えた現在
でも週一回は乗っている。
【大体いつも逗子と城ヶ島を往復して、50キロとか60キロを二時間くらいで走るよ】
ちなみに、筆者は逗子と江ノ島の往復で、20数キロを二時間くらいで走るので、菊池さんの体力と、自転車のスピードに驚かされた。
ZAFに関わったきっかけ
逗子アートフェスティバルに関わるようになるまでに、いくつかのご縁があった。
逗子アートフェスティバル前実行委員長の渡辺さんと、菊池さんは学校の先輩後輩で、その縁で声がかかる。
また、以前から親交の深かった逗子市から依頼されて、逗子文化プラザ竣工時に、どのように市民にお披露目していくのかを考える会議に出席した。
そして、この時に渚寄席のお手伝いをして、初めて文化・芸術活動に関わることになった。
その後も逗子市や文化プラザとの関わりは続き、次にお手伝いの依頼があったのが、2010年に開催されたメディアアートフェスティバルだ。
その時に、逗子小学校の壁を利用して映像作品を演出した、映像作家の石田さんや、逗子海岸映画祭の源さんなど、多くのアーティストの渉外係として関わることになった。
そして、このメディアアートフェスティバルでの経験が、大きな転機になる。
【アーティストが創作に没頭できるように、お手伝いをしているうちに、一緒に作品を作っているような気持ちになって楽しかった】
このように、いくつものご縁が重なり、2017年に前実行委員長の渡辺さんから、バトンを受けて逗子アートフェスティバルの実行委員長になる。
しかし、ZAF実行委員長として活動をスタートさせた2017年に、いきなり予算が0円に…
この時、もしかしたら逗子アートフェスティバルを終わらせる決断もできたかもしれない。
その状況でも続行することに踏み出せたのは、ZAFメンバーの「お金がなくても、みんなで協力して、なんとかしてやる!」という熱い思いがあったからだ。
【逗子は施設に投資できるだけの潤沢な資金があるわけじゃない。だから、大きな集会所を 建設するのは難しい。だけど逗子には住人同士の距離が近いという利点がある。
だから、その利点を活かしたイベントを充実させることで、人と人との繋がりを作ることができないだろうか。】
この感覚というのは、交流センター副館長でトモイク主催の村川さんとの出会いが大きく影響している。
村川さんが主催している、トモイクは「子供と、それを取り巻く周りの環境を良くしていこう!」をスローガンに、地域の交流活動を行う団体だ。
このトモイクという活動も、子育て施設は作れないけど、ご近所さんの繋がりを深めたり、困った時に頼れる関係性を、イベントを通して育んで行こう。という思いで、開催されている。
だから、逗子アートフェスティバルでも、アートを通して地域の課題を解決しようとか、アートを通して関わってくれる仲間を増やしていこう。
というような思いで、トモイクと同じように地域の交流拠点となるイベント
を目指している。
アートを発信する人の側で、刺激をもらう日々
【私はアーティストではありません。だけどアーティストのやりたいことを実現するために、お手伝いをしたり、近くで作品が出来上がるまでを見届けたりすることが好きなんですよ】
だから、アーティストの皆さんが、やりたいことを形にできるように、自分にしかできないことで、貢献したいと語る菊池さん。
例えば、ZAFの実行計画書の作成をして、逗子市に補助金の申請を出したり、開催後の決算書の報告をしたりするのも、その一つだ。
【自分の生まれ育った逗子という街を、より良い街にしようとしてくれているZAN(逗子アートネットワーク:逗子アートフェスティバルの企画運営を行う団体)の メンバーの負担を少しでも減らして、作品作りやイベント運営に注力できるようにサポートすることが、私の役目だと思っている。】
逗子アートフェスティバルに参加している人たちは、さまざまな経歴の持ち主が多い。
芸術大学を卒業した人もいれば、芸術とは全く無縁な人もいる。
逗子に何十年も住んでいる人もいれば、逗子に来て、まだ日が浅い人もいる。
だけど、全員に共通して言えるのが、逗子という街が好きだということだ。
大事なことは、アートが好きかよりも、この街を一緒に面白くしたいと
思えるかどうかだと思う。
安心して暮らせる街、逗子
逗子は「安心して暮らせる街」だと思うな。
ゆったりとした時間が流れる海や山に囲まれていることもあって、とても穏やかな人が多い。
それに、隣近所との距離が近くて、顔が見える距離感なのも良いところだね。
例えば、親が子供から目を離してしまったとしても、常に見守りの目があるからこそ、大きな事件や事故を防げている側面もあると思う。
それから、逗子には「おもてなしの文化」があると思う。
逗子の海水浴場は、今も昔も重要な観光資源になっていて、
そこを目当てに遊びに来てくれた人たちが、買い物をしてくれるおかげで、逗子の商店に良い影響を与えてくれている部分もある。
だからこそ、他の街から遊びに来てくれた人や、他の街から引っ越してきた人たちに対しても、ウェルカムな感覚というものが潜在的に備わっているのかもしれないね。
この逗子の街や人の持つ、気軽に招き入れてくれる雰囲気が、何世代にも
渡って逗子に住んでくれる人が多い理由の一つなのかもしれない。
アートを通して見える景色
2014年の逗子アートフェスティバルに参加していた作家さんとの出会いがきっかけで知ることの出来た、逗子の穴場スポットがあるんですよ。
その作家は、このように言った。
「古墳に立って見下ろせば、古代人の見た景色と同じ景色を私たちも
感じられるのではないか。」
この切り口で、蘆花記念公園から上に上がったところにある古墳の史跡の前に、古墳の作品を制作した。
古墳を制作をするにあたって、逗子高校の野球部に協力してもらい土嚢や藁を何度も上げてもらった。
その末に完成した古墳から、見下ろして見えた風景に心打たれた。
【古墳の上に立って見えた風景は、壮大な海の風景ではなく、木と木の隙間からのぞく小さな海の風景だった。】
意識を向けなければ、気づかなかった風景に、アート作品を通して気付かされた。
人が、ついつい見落としてしまう大切なことに気づかせてくれるのも
アートのもつ魅力の一つだと思う。
人と人との繋がりで持続する街を目指して
まず逗子アートフェスティバルを作る人が、やりがいを持って楽しめることが第一だと思う。
【色んなとこから人が来て、初めはお客さんだった人が、一緒にイベントを作る仲間になっ たり、関わって行くうちに逗子が好きになって引っ越してきてくれたりする。】
そうやって、ZAFを「きっかけ」に逗子に遊びに来てくれる人や、逗子に移住する人が増えて、逗子の商店や街が潤い、ZAF含め色んなイベントが持続可能なまちづくりに貢献して行くことが理想だ。
そのためには、経済的な安定と、ZAFを楽しんで、また求めてくれる人たちの存在が必要だと感じた。
インタビュアー/ライティング:中島理仁
撮影/編集:風間一樹、織田稜也