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ChatGPTとサウナと瞑想と。──AIについての走り書き、その4。

さてこの前、ベンチャー企業の採用を担当してる友人から聞いた話。

曰く、

就職を希望しているTikTok世代と話していると、彼らは「自分がやりたいこと」に対して明確なイメージを持っていないことが多いように感じる。

一方で与えられたものに対しては、明確な自分の判断を下せる。

……もっと突っ込んで話をしていたのだけど、ざーっくり要約するとそんなことを聞いた。

まぁTikTokってそういうメディアだよね。というお話。

自分の好奇心に最適化されたショート動画が次々と無限に流れてきて、見る、飛ばすの決定を指先に伝える。視聴時間、いいね、コメント、フォローなどの分析でコンテンツはより個人に最適化され、さらに好みに合った動画が新たに流れることになる。

でもTikTok上で「自分はこれが欲しい!」というアクションを起こしているわけじゃない。

かつてウッディ・アレンが『それでも恋するバルセロナ』のなかでクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)のことを、
彼女は
 自分が何を望んでいないかを知っているが、
 自分が何を望んでいるかは知らなかった

とナレーションで語っていたけれど、まさにこんな感じなのかもしれない。


僕ら人類の基本設計と、AI。

で、だ。

僕が友人から話を聴いていたとき、その場にいた人は「これからの若者が心配」的なことを言っていて、僕は「いや、単に100年以上前の時代に戻っただけじゃない?」と瞬間的に思ったのです。

かつてはコンテンツどころか職業も結婚も一方的に与えられてた。だから(もちろん葛藤はしつつも)職業も結婚相手も生きていく前提として受け入れて、そのなかの一瞬一瞬を生きていた。

与えられた小さな枠の中で、日々の決断を下してた。

僕らは配られたカードの中で役を作るしかない、と書いていたのは村上春樹だっけ?

そんなわけで、僕らが自分でコンテンツを選ぶわけじゃなく、TikTokが一方的にコンテンツを選んで流している、それに慣れること自体は、人類としては珍しいことじゃないんじゃないの? と思ったわけです。むしろこの数十年が特に極端に自由だっただけで。若者を心配する理由なんてなくない?

でも、すぐさま思い直しました。光速手のひら返し。なんなら「ごめん、やっぱ今のナシ」とか言った気がする。

やっぱり、昔と今は全然違う。

何が違うって、車も電車も飛行機もないじゃん。

「それがなにか?」

それが、なにかなんです。


AIが本当に脅かしているもの。

インプットって気持ちいいじゃない? 本を読んだり映画を見たりショート動画を次々視聴したり。ドーパミンがどばぁっと出る。あの感じ。

ベッドの中でさえYouTubeを見たい。本要約、映画批評、ニュース解説。それらは自分の学びに繋がる、だからこれは勉強なんだ。遊んでるわけじゃなくて、どんな形であれ仕事に繋がっているはず。

と思っていても、大枠で言えばそれは情報のインプットの一形態に過ぎないわけです。気持ちいいから見てる、お脳様にドーパミンが頂けるからやってる。

でね、情報ってインプットすれば良いってわけじゃないよね、ってのが2000年すぎからボチボチ本格的に話題に取り上げられてきました。

もうこれは話すとめっちゃ長くなるから大幅に割愛するけど、ようするに脳神経科学で言われてるのはインプットばっかりしてても覚えねーぞ、つか疲れるし自然じゃねーぞ、ということです。

エビングハウスの忘却曲線はけっこう勘違いされがちながら(かつエビデンスとしては貧弱でありつつ)も、人はインプットした先からつぎつぎトコロテン式に情報を忘れていく悲しい生き物だというのは誰しも感じたことはあるだろうし、僕自身も日々うんざりしています。せっかく本を読んだのに、翌週には大部分わすれてるんだもの。あの時間、なんだったの?

情報を上手く扱うには短期記憶から長期記憶に情報を移すことが大事で、さらに長期記憶に留まっている記憶に注意を向ける時間がないと「ひらめき」は生まれません。

どういうときに情報が長期記憶に移り、また僕らが長期記憶にアクセスできるかというと、それは内省する時間だったりします。

具体的には暗唱だったり、あるいは散歩や、サウナや、トイレや、瞑想だったりです。

これらは自分の注意が外側でなく、内側へ向いている状態を生み出します。外部情報ではなく、内部情報に対してCENやDMNが稼働している。

たとえばぼーっと歩いているとき

「あ、あのプレゼンこう話そう」
「そうだ明日の業務はこうすればいいじゃん」
「忘れてた、あれやらなきゃ」
「あ、推しの笑顔が見たい」

とか、急にひらめいたり思い出したりした経験ないですか? 

それはまさに自分の内側に向いていた注意の力によるものなんです。

そんでもって、100年以上前の人って、というか人類ってつい最近までどこへ行くにも基本徒歩。現代人と比べたらむちゃくちゃ歩いていたわけ。内省時間、自然にとれてるじゃーん、脳のパフォーマンス上げられてるじゃーん。というより、そもそもたくさん歩く環境下で高いパフォーマンスが出るように人は設計されているのです。

でも今は?

昔と比べて歩く時間は(内省に使える時間は)年々減り続けてる。

一方で、夜の街は明るくなり、ラジオが生まれ、テレビが生まれ、ネットが生まれ、スマホが生まれて外部情報は増え続けてる。

今でさえ、すでにそんな感じ。

でもこれからはAIによる本格的なコンテンツ爆増時代に入ります。

ますます情報は増え、摂取に時間が取られて、内省時間が短くなっていくでしょう。いまでも平均5時間以上と言われているスクリーンタイムは間違いなく伸びていく。

「え、今こそがメンタルにかかる負荷MAXの、言いたいことも言えない世の中なんじゃねーの?」

と思っている人に伝えたいのは、ポイズンはすでに25年前の曲だよってことと、メンタルの本格的な試練はこれからのAI時代→コンテンツ爆増時代だよってこと。

そして爆増したあらゆるコンテンツがTikTok的に、場合によってはそれ以上に超最適化されて届くなら、この問題は若者だけじゃなくて、僕やあなたのようなおっさん(後ろ向くなお前だ)にだって直接関わってきます。

四方八方から溢れてくる情報は、まるで僕らの脳を窒息させるかのように飲み込んでそのパフォーマンスを下げていく(それどころか不調をもたらす)。それを阻止するには意図的に情報を遮断する時間が頼みの綱となる。

僕は瞑想事業も展開してるのでポジショントークに聞こえるかもしれないけれど、AI時代には散歩や瞑想のように自分をオフライン化する時間and場所は、これまで以上に重要になるでしょう。

サウナでもいいし、ヨガでもいいし、登山でもいい。情報による窒息から身を守る習慣を、自分をオフライン化するテクニックを、何か一つ、命綱としてもっていたい。

深く考えたり、
あるいは何も考えなかったりする時間。
それはAIに最も脅かされているものの一つだと思う。

……と、つらつら書きつつも、教育の面ではネガだけでなく超ポジなことが山ほどあると思うので、それはまた別の機会に。

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