見出し画像

BE MY BABY

僕は身長が165cmしかない。
成人男性の平均身長は172cmらしいので下回っていることになる。

おそらく遺伝なのだろうなと思う。
奥さんも同じ165cmくらいで女性としては高い方で当然目線は僕と同じくらい。

なので男としてはやはり170cmは欲しかったなあとたまに思う。

僕は昔から人見知りだし緊張しいだしで人の顔をまともに見て話せない。
ちゃんと見て話そうと試みるも緊張で汗が止まらなくなる。夏場なんか地獄のようで暑さと緊張の相乗効果がすごいのだ。
大人になってからの方が大変で社会人としてコミュニケーションを取る必要があるので汗が止まらない。

挙げだしたらキリがないこれらは僕のコンプレックスである。
僕はコンプレックスの塊なのである。

まだまだ止まらないがご容赦願いたい。ごめんなさい、ただ重たい話で済ませないので。

性格はこれまでも書いてきたように自意識過剰で考えすぎて負の感情に囚われてしまっていた。メンヘラ要素があるのだ。他者に自分のエゴを押し付けて自分の感情を正当化しようとする。
「考えすぎじゃない?」「めんどくさい」と思われていたと思う。僕だって振り返って思うくらいだ。
負の感情は外に出すとある意味攻撃になるのだ。

自意識で深く考える代わりに外への意識が薄い僕は失敗が多い。
ものを失くす癖は治らないし、他人が言ったことをあまり覚えていない。ついこないだも友達から大事な話を聞いていたはずだったが忘れていた。
それを親友に話すと「覚えていないんじゃなくてそもそも記憶に入っていないのだろう」と揶揄されてしまった。僕は多分黒子のミスディレクションに容易に引っかかる。海外のスリに簡単に出し抜かれるんだろうなと思う。
もっというと自分がした話すら覚えていない。「この話ってした?」と確認しながら話している。

僕はコンプレックスの塊なのである。
自分で自分がいやになるときがある。劣等感に苛まれている。

けれどコンプレックスが自分を救ってくれることもある。

友人たちと過ごしている時にふと思った。
「もし僕が170cm以上あるやつでスマートなやつだったら今のこの関係性が築けていたのだろうか?」
別に周りはそんなこと考えないと思う。
しかしそんな理想的な自分と仲間がいるところを想像出来ないのだ。
コンプレックスというのは欠点・短所のように思えるがそれは捉え方次第なところもあって「魅力」「個性」にもなり得る。
自分がただの欠点だと思えばそれまで。
こんなガタガタの自分だったからこそ今の仲間、今があるのだ。
結果論かもしれないが意識の問題なのだ。

人間は完璧な人より少し抜けてる人の方が親しみをもてると聞いたことがある。
完璧な人より自分が正しいと言いたいわけじゃない。
欠点がなく気配りも出来て見映えもいい人の方が人生で成功しそうだし。


失敗やつまづきも同じかもしれない。
負の遺産のように思っていたものは友達が笑い話に変えてくれる。
これは笑い話に出来るトーク力ありきかもしれない。
本当にありがとう。

失敗やつまづきなど起きてしまったことは変わりようがない。
その経験をいかに前面に出していけるかにかかっていると思う。

経験値もコンプレックスも全て煮詰めたものが自分であり、個性になり得る。

こんな自分なんてと思うより捉え方を変えてこんな自分だから今があるのだと思う方が理想の170cmよりよっぽど人生豊かだ。







この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?