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私がなにをしていても
なにかをしていなくても
自分と君との関係は変わらない
そんな人やものが見つけることで
今の私を捨てることが出来るんだと思う。
なにもない自分が
そこで咲いている
パスタから労働、制作、行為を読み解く。
一緒に料理をしたあと、一緒に片付ける。
彼女が洗い物をしている間に、自分はシンクで水を切って自然乾燥させていた食器を食器棚に移す作業をしてる。
さっきまで食卓の上にあった食器や油のついたフライパンがひとつずつ、シンクへ移動している合間に、シンクにあった食器が食器棚へ移動していく。
これを労働と呼ぶ。
食事内容は大葉と梅のジェノベーゼ風パスタであった。大葉は先日に宿泊していた彼女の友達が偶然に
回復する為にする喪失
親から名前を呼ばれる経験に乏しく成人し、社会人となって名前を呼ばれる度に緊張し、自分がなんの理由でここにいるのかも分からず、自己主張など発想できない。
この自分と状況の間に繋がりがない。繋げるための自己紹介ができない、説明が一切できない。言葉がでない。つまりそこでは、自分の名前が力を込めて呼ばれることがない。そんなところに居続けては当然、自分の人間性は破壊されていく。実際に破壊されていた。ここに
年賀状を送り続ける習慣を保つには
自然と出る行動が変化するということは
精神的な空間、拠り所になる居場所が変わることなのかと想う。
昔から変わらない習慣を大切にするのもよし
新しい習慣に挑戦するのもよし
大切なのは、安らぎや愛着のあるイメージがもてる(具体であれ抽象であれ)”空間”をもっていること
誰にも共有できないけど、伝えようとすることはできる
普遍的でありながら同じものはひとつもない
空間を見つけたい
最小単位は個人でも家族でもない、友達単位
戦争中
友達がいれば
生きたいと思える
平和でも
友達がいないと
死にたいと思える
自分のこと忘れさせてくれる
友達があれば十分
あなたを友達と想う
それだけがすべてで構わない
綺麗な輪っかの嵩ね方
人わ
輪っかの嵩なった容れもののようなもの。
あるいわ
輪っかの嵩なった乗り物のようなもの。
初めての記憶に残ってる輪っかよ
小学校の輪っかよ
大学のサークルの輪っかよ
その時々で暮らした街や家の輪っかよ
自分の本体なんてどこにもない。
どこかの輪っかのなかで知った言葉や体に過ぎない。
無数の輪っかの嵩なった、
だけどその時その場所にしかない
限られた輪っかの数々よ
汚いけど吸い寄せられる
境界線:都市空間と時間感覚と人間感性
東京には血が染み付いている。
Nhk紅白歌合戦の舞台には往年の歌い手たちの血が。
渋谷には繰り返される再開発と絶え間ない夜の喧騒が。
上野には世界各地から集められる美術が。
いいものも、醜いものも強烈に大量にある。
それはそこにたくさんの人が集める強烈な魅力。
人が過密になり都市空間はぎゅうぎゅうに。それでも魅力は守られ続けて、東京に洗練されたものが残ってる。本物が集められる。
でも、本物のはず