女の子じゃあダメなの?

急にいろんなことを思い出して、
キーボード叩き始めた。

私は、自分の本名が嫌い。
いろんなところで
いろんなニックネームで呼ばれています。
「どんちゃん」「ありすちゃん」「仁絵ちゃん」
「沢木さん」「どんりーな」「りーなさん」
どれも周りの人がつけてくれた
お気に入りの呼び名です。
本名は。。。
できることなら口にしたくない。
結婚して苗字が変わって、
ちょっとはマシになったかな。

でも、
なかなか好きになれなかった
私の「名前」コンプレックス。

その原因は、
私が小学生の時。
宿題で「自分の名前の由来を調べよう」
というのがあって、
両親に私の名前の由来を聞いてみた。

「さぁ〜。。。どうだったかな?」と父。

「あなたが生まれる時は男の子がよかったから
 男の子の名前ばかり考えていたよ」と母。

結局、
何を聞いても
「税理士の後継になれる男の子がよかった。」
「女の子の名前は考えていなかった。」
という話ばかりで、
私の名前は
だれがどうやってつけたのかわからないまま、
宿題は宙ぶらりんで終わってしまった。

本当に、今振り返っても
酷い話だな。これ。
本当に!
私の名前、つけたの誰よ?!w

その日から、
「私って、男の子に生まれた方がよかったのかー。
 女の子は望まれていなかったのかー。」
と、いう悲しさを背負って生き始めた。

木登りや屋根に登ってヒーローごっこをしてみたり、
野球チームの練習に参加してみたり、
男の子のような遊びをしてみるんだけど、
そんなことで男の子になれるはずもなく、
自分はどうすべきなんだろうと悩み始めた。

そういえば、
「リボンの騎士」
めちゃ好きで読んでたなー。

「女の子だったら、どうしたらいいの?」
と聞いた時
「税理士の婿養子さんをもらうのもいいね。」
と言われて、
それならばお見合いをするためのマナーを身につけようと、
10歳のとき自発的にお箸の持ち方を自ら美しく直した。

「税理士の婿養子か…」
世の中にいる大勢いる人の中から
「税理士」という枠に入っている中からしか選べない。
なんか、やだなー。

そんな理由もあって、
税理士を自分で取ることも意識するようになっていった。

これ、
名前というより性別コンプレックスというべきかな。

そういえば、
「女の子だから」という理由で
中学3年生の時に海外にホームステイさせてもらえなかった。

父は典型的な「昭和」の人で
「女性は海外なんか行かなくて良い!英語なんて勉強しなくていい」
という考え方の人だった。

クラスの友人たちが夏休みホームステイに行くというのに、
私は父の反対で行けなかった。
それがきっかけだったかどうかはわからないけれど、
あのあたりから私の英語の成績はどんどん下がっていき、
高校生の時はクラスのワーストを取るほどまで退化した。
選択式問題のセンター試験では
200点満点中110点という点数を取ってしまいました。
あぁ〜、嘆かわしい!!

大学の時、必修の英語の授業では、
先生にマジックを教えてテストを免除してもらうという離れ技で
みごと単位を獲得した。
(ちょうど試験の日がマジックのコンテストだったからね。)

まぁ、そんなわけで女子であることを理由に
父から海外行きを許してもらえなかったのですが、
ここ数年、自分が英語できない&海外経験がないことが
コンプレックスに思い始めていました。

娘の英会話教室の送り迎えに行くと、
よく英語が話せる子のママは、
レッスン後に子供と英語で会話してるぅ〜!
か、か、、、カッコイイ!!
私は、、、、
「あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」
おーまいがーー!

これは、子供に悪影響と
慌ててレディガガのDVDを見せたり、
あれこれ対策をしたのですが付け焼き刃で
まったく効果がなさそう。

清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、
90万円をはたいて!!!
ディズニーの英会話教材を子供に買い与えたのが
コロナスタートで娘が3歳の誕生日を迎えた時でした。

今は、家族で
海外留学や海外移住も見据えて
少しずつ英語の勉強を頑張っているところ。

父が亡くなって1年経ったし、
そろそろ海外進出してもいいでしょ?
お父さん?

この海外問題は、実は奥深くて、
私の祖父の世代に遡ります。

祖父は四国に住んでいたのですが、
「アメリカに渡って仕事がしたい」
と言って、海外に移住するために
まずは港町である神戸に引っ越してきたそうです。
ところが、
奥さんである祖母と父をはじめとする子供たちに
猛反対されて、結局断念したのだとか。
せっかく神戸まででてきたのに、、、
可哀想なおじいちゃん。

その話を聞いてから、
祖父の思いをつなぐのは、私かもって思っています。
税理士も継いだけど、
きっとおじいちゃんは、
まだ海外に行きたいんだと思う。
だって、神戸のお墓に入ったままだもの。

私はまだまだ動ける!
「税理士になって欲しい」っていう
両親の願いはもう叶えたんだから、
おじいちゃん、
つぎはあなたの願いを叶えよう!

女の子だけど、、、
英語は苦手だけど、、、。
コレ、
できそうな気がしてきた。

税理士という日本の資格を活かしながら
海外でも仕事ができる環境も
オンラインセミナーの仕事をするようになって
すこしずつ整ってきているし!
無理じゃあないでしょう?

父が亡くなって激動の2023年だったけど、
2024年もさらに動きまわることになりそう。

もう!
ワクワクが過ぎる!

皆様にとっても、
幸多き一年でありますように!!(合掌🙏✨)


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