800年前、疫病流行る鎌倉時代を生きた人たち②

続篇としての今回は、コロナ禍、疫病と直接関係ないように見えるかもしれませんが、鎌倉時代を生きた日蓮(一二二二~八二)の手紙は、人々の嘆きや苦しみを扱っている点で、普遍性があります。光日尼(こうにちあま)という女性門下に宛てた手紙「光日房御書」を紹介したい。

光日尼は、すでに夫を亡くしていましたが、武士である弥四郎(やしろう)という息子がいました。しかしその弥四郎も、戦闘か何かで亡くなります。
その訃報を受けて日蓮が書いた手紙には、生前の弥四郎の言動が克明に記され、今でもありありとその場面が伝わってきます。――弥四郎は日蓮のもとを訪問し、人を殺めることが生業の武士として死後の不安にさいなまれ、母より先立てば不孝である、もし自分が死んだら母をお弟子さんに頼むなど、指導を求めています。
手紙にしてはかなりの長篇ですが、ある一節に、私は注目しました。

人間に生をうけたる人、上下につけてうれへなき人はなけれども、時にあたり人人にしたがひて、なげきしなじななり。
(人間として生を受けた人は、上より下まで身分を問わず、憂いのない人はいないけれども、時にしたがい、その人その人にしたがって、その嘆きはさまざまに異なるのである)
No one born human, whether high or low, is free from sorrow and distress. Yet troubles vary according to the time and differ according to the person.
「光日房御書」。『日蓮大聖人御書全集  新版』(池田大作監修、『日蓮大聖人御書全集  新版』刊行委員会編、創価学会)1252ページ、『新編日蓮大聖人御書全集』(堀日亨編、創価学会)929ページ、および “The Writings of Nichiren Daishonin,” Volume I, p. 662を参照。

東日本大震災を出すまでもなく、現在進行中のコロナ禍により、死そのものや死の恐怖というものは、現実の「死者」を通して、これまで以上に日常生活に浸透していくものとなりました。
そういう中で「あの人に比べれば自分はまだまだ」とか「自分と比べれば周りはまだまだ」と、嘆きや苦しみの軽重を他人と比較してしまうのは、人間の癖かもしれません。
光日尼にもそのような思いがあったかもしれません。日蓮の手紙では、それをわかったつもりに言ったり、安易に否定的に言うこともありません。「みなが苦しいんだ」ではなく、むしろ「苦しみはそれぞれ違うのだ」と言っている。

今回もあまり注釈は加えず、詳しくは原文に当たっていただきたいのですが、この十年、折に触れ反芻する、この一節を共有したく、書いてみました。■

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