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映画評「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」/「ゲーム体験」の映画化

私は、「ゲームの映画化」に感心した覚えが、あまりありません。
例外はあるので、あくまで「あまり」、ですが。

小説や漫画の映画化の場合は、原作の物語に加え、「映像」と「音」が足し算されているので、映画化する意味を感じます。

一方で、ゲームの映画化の場合、すでに映像と音はあるので、単純に「操作」という部分が引き算されていることになる。
最近のゲームは特に、「プレイする映画」という側面があり、そこから「自分でキャラを動かす」という部分を引くと、映画化してもイマイチな場合が多々。

数十時間から数百時間に渡って、プレイヤーがキャラを操作することを前提にして作られた物語や世界観なので、そのまま映画化しても、どうしてもゲームより薄口になりがち。

この制約を突破するために、原作ゲームに沿わない映像化をしようとすると、「なんじゃこりゃ」感が強くて、原作を冒涜されているようで、見てられない。

概ね、「ゲームの映画化」作品の傾向はこんなもんです。

なんでこんなもったいぶった文章導入をしているかというと、それはひとえに、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」
のせいなのですが、こういう寄り道をしないと、ただの一言で終わってしまうのです。

めっちゃ楽しかった!

というわけで、皆さん観に行きましょう。

(完)



でも良いのですが、頭を振り絞って、なんやかんや書いていきましょう。


※ネタバレはしていません。
というか、ネタバレするほどのストーリーがあるようでないようで。

じゃ何が楽しかったかといえば、振り返ってみるとですね・・・これがよくわからないのであります。
登場キャラはいつもの連中だし。前述の通り、ストーリーはほぼ無いし。

なのに、楽しい。面白い、というか楽しい。

「観賞後瞬間に記憶から忘れてしまうけど面白かった」映画ってのがあって、それはそれで非常に好きなんですが、そういうものでもない。
かといって、何が楽しいかは、いまいちわからない。

「マリオ」ゲームって、そういえば不思議なゲームのように思えており、1988年生まれの私は、ファミコン、スーファミ、ゲームボーイ、ニンテンドー64、Switch等々ありとあらゆる任天堂ハードでそれなりに遊んできたのですが、思い返せば、「マリオ」って何が楽しかったんだっけな。

ゲームのマリオは喋らない。
ストーリーに心を打たれた経験もない。
クッパはただの悪役として機能して、ルイージ・ピーチ・キノピオ等々のキャラクターも、どこからやってきた何者なのかは、ゲームをいくらプレイしてもわからない。

思うに、「独特のマリオ世界」で、キャラを自由自在にアクションさせる。
自分が操作して、敵を倒して、ステージをクリアし、存分にその「マリオ世界」を遊び尽くす。
そういうゲームなんですね、あれ。
ゲーム特有の、操作やアクションなど、そういう動きのカタルシスに特化した作品なのです。

そこを逆算して考えると、今回の
「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」
が、何故にめちゃくちゃ楽しい映画になっているかの理由が少しはわかる気がするのですが、

ゲームの映画化

というよりも、

ゲーム体験の映画化

になっているんです。

上手いこと言ったな・・・と悦に浸りたいところですが、言語化すると本当にそういう感じ。

思えばつかみどころの無いキャラであるマリオを、「諦めの悪い性格」として描いており、それは何回クリアに失敗してもトライし続けるプレイヤーの象徴でもある。
作中ではその性格が強調されるのですが、この一つをとっても、「ゲーム体験を映画化」していると言える。

ゲームの映画化の際のハードルである、「操作してないキャラだから感情移入ができない」という断絶の感覚を、ここで打ち消しているわけです。
そう、マリオって、私のことであり、あなたのことだったんですね、、、うわぁ。エモい。

マリオ以外にも、ルイージ・ピーチ・キノピオ・クッパ、等々の登場キャラ、、全てに性格付がされているのですが、「お前ってそういうやつだったよな」という納得できる部分と、「お前ってそんな一面もあったのね。」という意外性、そのバランスが絶妙。

他にも、「ゲーム体験の映像化」と言える要素をあげればキリがない。

映像は洪水のように情報を与えていくのに、それが全く邪魔にならないシンプルな物語設計。
映画が始まったら、あとはステージをクリアするまでの一直線構造。

劇中では、「ゲーム内のアイテム」が数え切れないほど出てくるのですが、後付けなはずの、映画上でのアイテム裏設定にしても、違和感なく溶け込んでいます。

「見たことあるマリオ世界」を、「おなじみの登場人物」が、「いつものアイテム」と、とにかく暴れていく93分。

短い。

クライマックス前に主人公たちが一回凹んで、「僕にはできないよー」とか後ろ向きな発言をすると、出しぬけに雨なんか降ってきたりする、そんなどうでも良い「ドラマ」は無し!

そう、劇中のドラマ性は皆無なのです。
なぜなら、失敗してもなんども立ち向かっていくマリオは、自分と同一であり、何度もトライする精神にこそ、それぞれのドラマがあるからなのです。

マリオの映画化にしかできない、思い切った構造で、それが大成功しているといえるでしょう。

まぁ、水を差せば、欠点は多数あるわけです。

上映時間が短い代わりに、ほとんど無駄な時間はないんですが、その代わり明らかに必要なシーンが不足してたり。

マリオにあんま関係ない、80年代ポップソングに演出を頼ってて、アガるといえばアガるんですが、無関係なもんでノイズにもなったり(一応、マリオが誕生したときのヒットソングらしいけど、ゲームには無関係)。
演出にポップソングが入るのって、主人公が音楽が好き。とかが、必要な伏線だと思うんですが、そんなことも特にないし。

とにかく、良くも悪くも、キャラと世界観の力押しなのです。

全体を総括すれば、「トリップ体験」と表現するのが正しいのかも。
マリオ誕生以来およそ40年(最初のマリオは1985年らしい)の積み重ねを、93分の映画に凝縮するという、勿体なさも感じる、贅沢な映像体験なのであります。

ゲームとは違うけれど、「ゲーム体験」を忠実かつ過剰に再現。
ここに、本作ならではの、「楽しさ」の秘密があるような気がします。

そういや、日本語吹き替え版で観たのですが、日本語をペラペラしゃべるキャラたちに、一瞬も違和感がなかったので、それもすごい話ですよね。

トリップ体験がそうであるように(いや、ドラッグやったことないのでわからないのですが)、とにかくもう一回は体験しておきたいので、今度は字幕版で見てみます。

マリオ関連ゲームをやったことある、そこのあなた。
早く観なさい。

ゲームなんかやったことねーよ、ていうそこのあなた。
もはや私は好きすぎて、出来不出来が冷静に判断できないので、ゲーム未体験の人がどう感じるのかが気になります。
ので、さっさと観て感想を教えてください。

追伸
トリップ体験により、脳みそを破壊されたのか、今OAされてる、任天堂のCM「IT’s YOU!MARIO」だけでも、なんか泣けてきます。


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