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おいしそうランキング、今日も集計中

食い意地が張っている。食べ物への執着が強い。いやしんぼうだ。

自分のことをそういう風に思って、ときどき落ち込む。
最後のひとつになった餃子、半分こにしたあんパンの、あんこが多いほう。8等分にしたピザの、チーズと具が最も多いひときれ。人と一緒にご飯を食べる、楽しい時間のはずなのに、それらのゆく先が気になって仕方ない。

大皿に盛られた唐揚げの中でひそかに狙うは、大きくて皮がしっかりついていて(私は、カリッと揚がった皮が食べたくて唐揚げを食べている節がある)衣がピンととがった個体。お皿の真ん中からちょっと左寄りのあれが、きっといちばんおいしい。
いただきます直後に一直線で箸を伸ばしたいところだけれど、私は見栄っ張りでもあるので、がっついている印象を周りに与えるのは避けたい。だから、まずはいかにも手近にあった一切れをたまたまつまんだだけですよ、という体で、さりげなく周りを切り崩していく。
そうして首尾よく目当てのもの(=大皿の中でおいしそうランキング第1位の唐揚げ)を自分の取り皿に確保できたときの満足感は、たぶん狩猟民族が獲物をしとめた時のそれに近い。逆に誰かがそれをさっとつかもうものなら――もちろん心の中でだけれど――ああっ、と悲鳴を上げてしまうのだ。

母という人はその逆をいっていて、一緒にご飯を食べていると必ず、「ここおいしそうやから、あんたが食べ」と言ってくれるものだった。鯖味噌のお腹側、モダン焼のおそばがカリカリになった部分、いちばん大きなハンバーグ。尊きもの、そは母の愛。
ただ、そんな言葉を浴びるように聞いて育ったせいで「なるほど食べ物には特別おいしい部位や個体があるのか」と合点し、出された皿のなかでそれらを探す癖がついてしまった、というのはあるかもしれない。難儀なものである。

こんな性質、格好悪いし友達なくしそうだし、矯正できるものならそうしたい。
そう思っていたのだけれど、noteを始めてからちょっと意見が変わった。

前から私の記事を読んでくださっている方はなんとなくご存知のことだと思うけれど、私の書く文章には食べることにまつわるものがわりあい多い。
そして、私がnoteでいただくコメントでおそらく最もお褒めに預かっているのが、「食べ物の描写がおいしそう」という点なのである。

私が食べ物のことを書くときはたいてい、そのおいしさを忘れたくない、と思っているときなので、それのどこがどうおいしかったか、というところを、微に入り細を穿って描写することに血道を上げている。
で、その描写の源はおそらく、食べ物に相対した時の「これのおいしさを形作っているのはいったい何なのか」という観察だ。
たとえば唐揚げならやっぱりカリッとした皮とぷりぷりのお肉のコントラスト、そしてその間からじゅわっと湧き出す肉汁……あ、あれ皮の部分が大きくて衣もピンとしてておいしそう――そう、例のいやしんぼスキャニングと根底は同じ。つまり私の文章の肝は食い意地!!

短所と長所はうらおもて、というけれど、それをこんなにもはっきりと感じたのは初めてかもしれない。人から嫌われない程度に、私は私の食い意地を、いやしさを、そっと慈しんでいこうと思う。たまに一人呑みでおつまみ独り占めしたりね。

唐揚げ食べたくなってきた。




ことばと広告さんのメンバーシップ「書く部」お題企画、「これがわたしのいいところ」に参加させていただきました。

#みんなで書く部
#これがわたしのいいところ

強みとか長所とかいう表現だとビジネスっぽくなりがちだけれど、「いいところ」という言い方だともっとゆるーく考えられる感じでいいですね。素敵なお題ありがとうございました。

ちなみに私の、食い意地にあふれた食べ物関係の記事はこちらにまとめております。


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