60歳からの古本屋開業 第2章 話はこうして始まった(3)実家の膨大な蔵書
登場人物
夏井誠(なつい・まこと) 私。編集者・ライターのおやじ
父 私こと夏井誠の父
本が集まってしまった理由
そもそも父の家に、なぜそれほど大量の本があるのか。説明すれば簡単なこと。親子二代にわたる本好き、本購入しまくりがその理由である。
私の父は長野県在住。
18歳で公務員となり、長野から東京に移住し、そのまま40年あまり、立派に勤めあげた。60歳の定年後、年金生活に突入し、65歳のとき故郷長野で本家(父の兄である長男が相続)が使っていない農地を譲り受け、そこに家を建てた。
妻(私の母親のこと)は、私が小学校6年生の時に他界。それから50年以上の月日を独身で過ごし、私が22歳で父のもとを離れてから40年以上、ずっと一人暮らしを続けている。
定年後、長野に建てた家は一部屋十畳以上ある広々5LDK。一部屋は仏間、2階の一番眺めの良い一部屋が寝室。そして1階の一部屋をまるまる図書室にした。それでも二部屋が何も置かれずに余っているという贅沢さ。東京の住宅事情からみれば羨ましい限りのゆったりスペースで悠々自適の生活を送っている。
長野県はもともと学校の先生や公務員(もちろん学者さんも)が尊敬され、政治家や実業家など脂っぽい職業の人は嫌がられるか、少なくとも全然尊敬されないというお国柄。そのため田舎では風俗はもちろん、飲み屋でさえもほとんど見かけない。そんなところで18歳まで育った父親は、ギャンブルに走ることもなく、もともと酒は飲めない、趣味は読書、といった人。
東京では埼玉県との境にある町の公団の2DKに、母と私との3人暮らしをしていた。
もちろん当時から本は大好きだったようだが、それでも母が生きていたころまでは遠慮もあったのか、一人息子の私にも本好きの姿、本を購入するような姿はあまり見せなかった。
本に埋まる家
しかし母の死をきっかけに父の本好きの本性が一気に爆発する。
それはまさに爆発と言ってよいものだった。当時父は40歳。
いきなり「中国古典文学大系」「日本歴史体系」「日本民俗史体系」「日本近代文学大系」など、それぞれが数十巻もある「体系」モノを一気に購入し始める。
それを団地の商店街の中にある、文房具店も兼ねているような、ごくごく普通の、本当に小さな書店に注文するのだ。頼まれた書店だって大騒ぎである。
店頭に並べてもいない数十冊セットの体系モノが定期的にどかどか売れていくのだから、もう書店にとっては夢のような話。書店主が2DKの我が家に何度も挨拶に来ていたのを中学生になったばかりの私も印象深く記憶している。
書店は本が売れて大喜びだが、我が家は当然、大変な状況となった。2DKにそんなに大量の本を運び込めばどうなるか。結果は明白。
団地の2DK。それぞれの部屋も広くはない。4.5畳のキッチンに4.5畳の私の部屋、そしてリビング・寝室・仏間も兼ねた6畳。押入れは4.5畳の部屋に一つ。それですべて。そこに大量の、本当に大量の本が運び込まれたわけだ。
まず私の使っていた4.5畳の部屋の押入れが書庫となり果てた。押入れを上下に分ける中板が崩壊してしまうのではと心配になるほど大量の本が押し込められ、その隙間に父が居間に敷く布団が収納されている。そして居間の壁一面、私の部屋との境にもすべて本棚が並べられ、居間の正面にある大きな仏壇の脇にも本棚。居間の残りの床面積4畳ほどのスペースで食事をし、父が寝るという生活を送ることとなった。
主婦でもない私自身がお金の面を心配することはなかったが、子どもながらに「さすがに、これはちょっとすごい部屋だなー」と思っていたものだ。
(つづく)
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