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【短歌五首】車椅子の風景その3

エレベーター何基あっても一基しか車椅子用ボタンで呼べない

エレベーター何基あっても一基しか中に車椅子用ボタンがない

入れてもベビーシートに阻まれて鍵が掛けれぬ”みんなのトイレ”

我が町の商店街に車椅子で入れる店は数えるほどで

チェアウォーカー独りで街を歩くこと想定されてない”バリアフリー”
 



もはや短歌というよりただの愚痴になってしまいましたが……。

◆第一首
例えば見出し画像のようにエレベーターが3基あるとして、車椅子ユーザーが押せるボタンでは左のエレベーターしか呼べない……ということが多いです。多いというか、ほとんど、それです。
他にもエレベーターを待っている人(非車椅子ユーザー)がいれば便乗しますが、私しかいなければ、たとえ真ん中か右のエレベーターが近くにいても、左のエレベーターが来るのをじっと待つしかありません。

◆第二首
第一首と矛盾するようですが、たまに車椅子用のボタンですべてのエレベーターを呼べるところもあります。ところが、エレベーター内部に車椅子用のボタンがあるのは一基だけという落とし穴があったりするんですよね。来たエレベーターに何気なく乗ったら、そこには車椅子用ボタンがなくて閉じ込められる……なんてこともあります。

某デパートは、フロアの南北に数基ずつエレベーターがあるのですが、車椅子用のボタンが北側のエレベーターの一基にしかなく、南側には皆無です。

何で、すべてのエレベーターに車椅子用のボタンを設置しないんですかね?
え、何でなんですか? マジで何でなんですか? アホなんですか?

◆第三首
例えば、下は某ショッピングセンターの多機能トイレですが、中の開閉ボタンがドアとベビーシート(おむつ交換台)の間の角っこにあって、車椅子からだと手が届きづらい(と言うか届かない)んですよね。
ボタンがある側の壁にべったり寄れないし、ドアが邪魔で近寄れないし。
車椅子ユーザーは腕が伸ばしづらかったり前屈みになれなかったりする人も多いので、独りのときに困ります。中に入れても鍵が掛けられないのでは、それは“使えないトイレ”であり、ないのと同じです。
車椅子で入れることになっているけれども、実際は入れるだけで使えないトイレがたくさんあります。比較的新しくできたビルや店舗でも、そうです。
何でそういう構造にするんですかね?
え、何でなんですか? マジで何でなんですか? アホなんですか?

某ショッピングセンターの多機能トイレ

◆第四首
昔からある商店街なんて、ほとんどの店の入口に段がありますからね。低い段が一段だけなら何とかなりますが、たいていは高い段だったり二段あったりします。
あとは、ビルにエレベーターがないとか、あってもものすごく狭くて使えないとか、車椅子用のボタンがないとか。
入れない店が多いからか、地元の商店街にどんな店があるか、そこまで詳しく把握していない……。

第五首
一応バリアフリー設備を整えているふうに見せて「車椅子でも使用可能」を謳っていても、実際は使えない設備が少なくないのは、車椅子ユーザーが介助者を伴わずに独りで出歩くことが想定されていないからではないかと思います。
(もちろん、要因はそれだけではないでしょうけれど)

日本のバリアフリーは温情や思いやりに過ぎず、そこに人権意識がない、とはよく言ったものです。
日本のバリアフリーの問題点について書かれた本では、川内美彦『尊厳なきバリアフリー 「心・やさしさ・思いやり」に異議あり!』(現代書館、2021年)がおすすめです。


◆短歌「車椅子の風景その1」「車椅子の風景その2」はこちら↓


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