校則の呪い

校則って、
「こどもを信じません」
という大人の姿勢をストレートに伝えている最たるもの。

髪を染めた、スカート丈を変えた、
うん、で、だから何?

「校則だから」
「守るものだから」
「みんなそうするものだから」
が大人の主張で、それが校則で縛られることの答えになっていないことなんて、とっくにこどもたちは見抜いているから、下らない呪いにとらわれている大人たちを鼻で笑ってすっかりしらけている。

こどもはバカじゃない。

校則は自分たちを信じてもらえていないからあるということをわかっている。

日本は、
大人は、
「上の言うことをきかせる教育」
やりたいんだよね。
何も考えないぼんやりしてる盲目納税者増やしたいんだよね。


こどもにとって自由は最大の武器のはず。
こどものうちは人に多少迷惑かけたり失敗しても守ってもらえる。
その範囲の中で、小さいケガですむうちに、たくさんたくさん失敗する。
こどもは失敗する権利を持っている。
目一杯遊んで、
時にやりすぎて、
失敗して、
迷惑かけて、
尻拭いしてくれた周りの大人を信じて育っていく。

たくさんの失敗から学んで、自制できるようになる。
やりたいことに失敗恐れず進む力がつく。


やりたいこと?校則あるのでやれませーん。
失敗したら人生終わんぞ


こんな環境下でこどもが伸びるか。

「すべての子どもは、自分自身の中に神を持っている。自我が満たされた自由な子どもはその神を発揮する。善悪や正邪の価値基準を与え、子どもを型にはめようとすると、その内にある神を悪魔に変えてしまう。つまり、法律や規則でしばり、道徳で抑え込もうとするから、罪を作り、反逆者を作り出すのだ」
アレクサンダー・サザーランド・ニイル(1883-1973イギリス)