滑り止め中学に行かない子の公立生活は暗くなるのか

中学受験でことごとく落ちて、
滑り止めには受かってるけど、
滑り止めはしょせん滑り止めだしな、
受験という勝負では勝ちなのか?負けなのか?
難しい心境の中で選ぶ、進学先。

さて、公立、滑り止め校、どこに進学するよ?!という余計な悩み。

しかも入学金納入まで時間がないという中の選択。


滑り止め校には、その学校に向かってこども自身の
行きたい!
というエネルギーは、あったりなかったりしてしまう。
そりゃそうだだって滑り止め校だから。

とはいえ、
本願校なら幸せで、
滑り止めなら幸せじゃない
なんてことだけは、
これだけは絶対ないと断言できるのだけれど。

要は、地元の公立も含めて、本来アラカルトでなくて良いはずの中学の進学に対して、短時間で決断しないとならない岐路にこども本人の意思が乗ったか乗ってないか、そこに尽きる。


どこの学校で何があっても、
必要なのは
自分でそこを選択したという
こどもの意識。


だけどこれが難しいんじゃないか。

だって
こどもは、親に忖度する。

これはもう、本当に親が考えている何倍もの勢いで忖度してます。
いろんな忖度があるけど、
親に笑ってほしい、喜んでほしい、幸せな顔をしていてほしい、
こどもの心の中なんてそればっかりだから、
短絡的にいまその瞬間のそれに結びつく安易な選択をすることがある。
未熟で思いを馳せられない未来の自分なんかより、目の前の親が自分の言動で笑うか怒るか泣くか無視するか、ほぼそれだけ。


またそれ以前に
自分で考える、選択するという機会がないままずっと親の言う通りに生きてきた子は忖度にも至らず、親の意見が己の意見。
これでは君の人生誰が生きてるの?という話で別問題だけど。


そしたら、
こどもの意思を中学選択に乗せるにはどうする?


たぶん、
自分で決めな、
と言えば突き放されたような解釈をこどもはしちゃうだろうし、
ここへ行け、
という親の意図は波動になってこどもに伝わるから忖度される可能性がある。


だから


日頃から小さいことを本人に選択させ、任せ、信じている親の態度をキープしていないと、突然大きめな選択にこどもは自分の意思を乗せられないと。

けどそうしてこなかったならもう仕方がないのでそのときは、


相談に乗ったり、親の意見を見せながら、親がこっちに行かせたいという思いがあるならうまく誘導して、最後はこどもが自分で決めたという結果にしておくこと。

親にだってこどもにだって、本当にどれを選べば幸せかなんてわからない。もちろん、高い偏差値の本命校に行けても、同じ。
将来的に見ても、実は同じ。


だけど不思議かな。
どこに進んでも
自分の意思と自分が決定したという自覚がこどもにあれば、
中学進学に限らず
自分の人生を自分でハンドル握って生きるこどもは、
どの環境でも


後悔しない。
元気に過ごせる。
自分で自分の幸せをつくっていける。