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戦後76年、8月15日という日に

今日は76年前に玉音放送にて日本の降伏が国民に知らされた日です。ぼくはこの日を毎年たいせつに過ごし、先人たちへの祈りを忘れないようにしています。戦争のことをいつもより少しだけ多く考える時間を持つ。それが僕の夏の過ごし方だ。

10年前、東京に行く機会があったときに「せっかくなら靖国神社に行ってお祈りしたいなぁ」と10個ほど歳が離れた後輩に言ったところ「え、靖国神社って戦争の悪い人が祀られてるところですよね?そんなところ行くんですか?」って言われたことがある。

そのとき、それについて詳しく説明できなかった自分を恥じた。"悪い人"か…。

あの戦争が自衛戦争であったことや、戦後教育で自虐史観を植え付けられた人が多いという認識は当時既にあったけど、じゃあそれを詳しく説明できるか?と言われると全くもってできなかった。

なんとなく知ってるということと、理解して説明できることは違う。そんなことを思い知らされた。今でもはっきり覚えてる。飛んでた雲の数まで覚えてるよって、とあるマンガのキャラクターが言ってたけど、そのくらい鮮明に覚えてる。

戦争のこととなるとかなりデリケートな話題である上、既に半世紀以上も前のことなので、"詳しく知っている"ということにおごりも感じたりする。

それでも、ぼくはその日以来あの戦争について考えるようになった。いろんな本を読み、史料を確認して考えた。知れば知るほど、いろんな見方によるいろんな意見があり、時にそれは分断にもつながることを知った。

史実を知るということは極めて難しい。ただ、戦争のことを考え始めて、これだけは真実と言えるということがある。

それは、今の価値観で過去を裁くということはできないということ。

多くの人が、なぜ勝てもしないのにあんな無謀な戦争をしたんだ!と言う。今の価値観で考えると当然そうなるだろう。今、そう思うことは人類の進歩であり、とてもすばらしいことだと思う。

ただ、あの時代は日本だけでなく国際社会が帝国主義の時代だった。僕が知る限りでは、当時も可能な限り開戦を避けようとする動きはあった。もちろん、開戦を支持する動きもあった。世論も大きくは戦争に傾いていたし、メディアも開戦を煽っていた。当然、そんな中でも世論に惑わされず戦争はよくないと思う国民もいただろう。

日本だけでなく国際社会全体が、時代のうねりが戦争へと突き進んでいった。よく、「2度と繰り返さないために」という名目で誰が悪かったのか?を考えなければならないという議論を見ることもあるが、あれだけのことを個人や特定の団体だけの責任にするには無理がある。ヒトラーでさえ民意に支持されて台頭した。人間は時代の波に乗ることしかできない。

軍部も、政治も、国民も、メディアも、国際社会も。全てが時代という波の中で戦争に向かっていった。本当に繰り返さないというのであれば、国際社会や時代背景、それらをおおっていた空気全体で考えなければ意味はないのではないかと思う。

あの時代は、戦わなければ植民地にされ、支配を受ける時代だった。ここを無視して悲惨だ、許せないと言うことは、今の価値観で過去を裁いているに他ならない。

悲しいが、そういう時代だったのだ。僕は時代を知ることこそ、2度と繰り返さないことにつながると思う。

今の価値観で過去を裁くことはできない。

価値観は時代によってどんどん変わっていく。今は許されていることでも、もしかしたら20年後は野蛮だと言われることもあるだろう。それを、遡って裁くことは、人類の歴史を分断してしまうことになる。

このことを知れただけでも、僕は戦争のことを学ぼうとしてよかったと思ってる。76年前のことを「これが正しい」とわかったように語ることはできないが、過去を考えることで、人間としていちばん大切なことを学んだように思える。

僕はあのとき、"靖国は悪いところ"と言った後輩を論破したかったわけではない。言われたとき、自分の中に具体的な何かがなかったことに喪失感を覚えたのだ。ある程度知識がついた今も、別にそうしたいわけではない。ただ、今後そんなシチュエーションがあれば疑問は投げかけたいと思う。あの時代はどんな時代だったんだろうね?と。その会話にこそ意味があると思ってる。そして、今の僕のこの価値観もあのときの会話から生まれたものである。

戦争の反対は平和…と思われがちだが、平和は状態を表す言葉。戦争は手段であり、戦争という手段の反対は"話し合い"だ。現代に生きる僕らはどのくらい話し合いをしてるだろうか。話し合いを放棄し、戦争になっているケースは身近にないだろうか。今の価値観で過去を裁いてないだろうか。そんなことを何度も何度も考えてみる。

こんなnoteを書いているけど、別に今日全体を喪に服して過ごしたわけではない。子供とも遊んだし、おいしいものも食べた。魁男塾のキャンペーンのために吉野家にも行った。寝っ転がってダラダラと漫画を読んだりYouTubeを見たりした。これらの全てを先人たちに感謝したい。こんな日常が当たり前ではない時代があったということを忘れてはならない。

あの戦争で犠牲になった尊い命に心から祈りを込めて。76年後の8月15日を無事に過ごせたことに感謝します。


※2021.8.16 追記
このnoteを書いた直後、右下腹部に激痛が走り、しばらく様子をみたものの痛みがどんどん増していき…救急車で病院に運ばれたところ尿管結石でした。笑ってやってください。病院のベッドの上から平和を噛みしめております。しかし、平和を味わうには健康が必要なのです。これ以上の #最近の学び はありません。みなさんも健康には気をつけましょう。残り少ない夏を、良い夏に…

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