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ひとくちエッセイ 「喪失感」

少し前のこと。下校中の娘を迎えに行くと石を持って帰ってた。同じマンションの友達と一緒に。

「石なんて持って帰ってどうするの?」

「へへ、特別に教えてあげようか?」

ちょっと得意げにそう言うと、実は秘密の隠し場所があるんだよね!と、友達と笑ってる。

なんかこういうのいいなと思いつつ、そういえば子供の頃こんなことやってたなぁと懐かしさを感じつつ、マンションに到着。隠し場所を教えてもらった。

消化器の裏だった。なるほど、消化器は景観を損ねないためかアルミか何かの板で囲ってある。

秘密の隠し場所

これは良い隠し場所だと思った。よく目につく目立つ場所だけど、わざわざ中をのぞき込む暇人はいないだろう。隠し場所自体は「オープンに見えている」ことがスリリングさを増す。非常に良い隠し場所だ。

「これは良い隠し場所だね!」

と、驚くと娘は得意げに「でしょう?」と言った。友達も得意げに笑った。それからというもの、ここに石があるかを確認するのが帰宅時の密かな楽しみになった。

「お、今日もあるな」なんだか消化器が聖域みたいに覆われてる気がして、つまり「見つからないこと」は火事にならないおまじないのようにも思えてきた。消化器が使われないのは良いことだ。

そんなことを思いながら毎日確認してたんだけど、先ほど確認したらついに無くなっていた。あ、見つかったのかー残念。

そういえばこの間、春先だからか管理人さんが念入りに掃除してたからその時かなー。無くなったところで何もかわらないのに、なんとも言えない喪失感を味わう。

けど、なんか良い喪失感だった。何か大切なものを失った時に感じるこの気持ち。僕にとってあの石ころは大切なものになってたようだ。失ったからといって全く問題ないけど大切なもの。インスタントに喪失感を味わえて、なんだか娘と娘の友人に感謝してしまった。

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