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読書記録「道元」立松和平著

小学館
2002

道元が宋で師と出会い心身脱落するまでを描いた作品。
主に祖母、忠子に支える右門が語る形で話は進む。(途中の妻と子の描写まで右門は女房だと思い込んでいた。右門は一家を守る武士のような者らしい。)

全体としては、終盤まで右門の語りで進んでゆき台詞もほとんどない。
周囲のきな臭さをどんな思いでみていたのかも、入宋への思いも、全て右門を通して更に読み手は押し測るしかない。読みやすいのだけれど、霞の奥に主人公がいるような不思議な感覚。

道元は非常に立場のある家の生まれ。生まれからしてそもそも摂政や関白となるような家柄だ。
その上、生まれた時に“重瞳の子”で末は天下人か大聖人になると予言された特別な子、文殊丸。
母、伊子は息子には仏の道を進んでほしいと願う。しかし母方の祖父は天下人と予言を受けた孫の出世に望みをかける。
実の父は別の妻を得て疎遠となり、伊子の死の際も顔も出さないほどの関係だったようだ。

時代は鎌倉。まさに諸行無常の時代。ぎりぎりの所仏の道を選んだ文殊丸。
もしも違う選択をしていたら間違いなく政争に巻きこまれ、命を落としていたかもしれない。
出世争いだけでなく、実際多くの命が失われてゆく時代。
母の伊子が頼りにしていた文覚も政争に巻き込まれて流刑されそこで亡くなる。道元と知り合いになった源頼家の息子2人は出家していたももの、結局は政治の場に担ぎ出され、若くして命を落とす。

俗世から離れ、道元は母の弟である天台主座のもとで修行に励む。
しかし、全てのものは生まれながらにして救われているのであればなぜ修行に励むのか、根本の疑問は消えない。宋で学んだ栄西にも問うが、満足する答えは得られない。
正師を求めて宋に行きたいという思いは膨らんでゆく。

ようやく辿り着いた宋でもなかなか正師と思える人に出会うことはできない。
宋にはそんな人はいないのではないかと奢る気持ちが芽生えた最後の最後で出会った如浄禅師。

そこで道元が学んだのはただひたすらに只管打坐ということ。
この本は道元が心身解脱したところまで。
如浄の先が長くないと分かりながら、きっと師の思いを汲んで道元は日本に帰ることになるのだろう。

その後、道元が開いた永平寺は世俗化へと進んでいくよう。

それでも、永平寺の映像などを見ると、今でもそこは特別な場所なのではないかと思わせる。

とにかく日々の全てが修行。
食事係、典座が重要な役割であるのは物語のなかと同じ。

日本に戻った道元がどのように永平寺を開山するのか、そこの物語も読んでみたい。

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