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読書記録「パルムの僧院」(下)スタンダール著、大岡昇平訳

新潮文庫
1951

とにかく怒涛の展開の後半。

(以下ネタバレ含む。)

ファブリスの入牢からそこでのクレリアとの出会い、そして侯爵夫人が手を尽くしての脱獄、大公の死、新たに即位した大公の公爵夫人への恋。
そこからのファブリスの失意の日々とクレリアとの再会に密会、更には子供の誘拐と続いてクレリア、ファブリス、そして公爵夫人の相次ぐ死とともに急に物語は終わる。

クレリアと会えなくなるくらいなら死ぬほうがマシとばかりに脱獄を拒否し続けるファブリス。クレリアの願いを聞いて脱獄することにはなるが、幸せな生活とは程遠い。世捨て人のようになってしまって、逆に世間の人たちから崇められる始末。
侯爵夫人はそんなファブリスの様子から、彼が心底クレリアに恋していることを見抜き、何としても2人のヨリが戻るのを阻止している。

クレリアは結婚してクレセンチ侯爵夫人となる。
ファブリスと再会するも、決して姿を見ないという約束を何とか守ろうと暗闇でしかファブリスと会うことはない。それでも生まれた子供は2人の間の子だというから驚きだ。
このあたり、スタンダールも言及しているが、まさに信心深いが自己の行動を省みることがほぼない、というのがよくわかる気がする。

終始変わらぬ熱しやすい激情型のファブリスの性格。
暴力と虚栄の発作を繰り返すという以下の論文の指摘は面白い。

ブラネス師の予言とは何だったのか。罪とは何か、そしてファブリスは結局、激しい誘惑にうち勝つことが出来なかったということなのか。

というのは、私の声に警められ、お前の魂はもっとつらい、もっと恐ろしい牢獄に備えることができるからだ。たぶんお前はその牢獄から何か罪を犯さずには出られまいが、ありがたいことにその罪を犯すのはお前ではない。誘惑がどんなに強かろうと、けっして負けてはならない。どうもそれは自分では気づかずお前の権利を奪った、無辜の人を殺すことのような気がする。もしお前が名誉の見地からは正しいと思われる、激しい誘惑にうち勝つならば、お前の生涯はだれの眼にも非常に幸福と映るだろう…賢者の目にはまず相当の幸福ということだろう。

結局のところ幸せだったといえるのは、最後に侯爵夫人と結婚し更に莫大な財産をも手に入れたモスカ伯爵だけだったのかもしれない。

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