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みんなのためではなく一人のために

昔から疑問に思うことがある。

果たして、みんなのために作られたプロダクトやサービスはみんなが使うのだろうか?

例えば、映画の謳い文句で『全米が泣いた』とよく形容されるが、まずどのようなアプローチで調査をしたのか気になる。
それは百歩譲って、そもそも全米が泣く映画などないという前提は "みんな" 知っているはずだ。

また、多くのプロダクトはペルソナと呼ばれる年齢、性別、年収、ライフスタイルに基づいた仮想のメインユーザーを企業側で策定する。
しかし、そのような具体的なメインターゲットをせずに、みんなのためのプロダクトと称して市場に投入されるケースも少なくない。

以前、とあるコンテンツでマザーハウス代表取締役副社長の山崎さんが『万人に好まれるよりも、一人が絶対にほしいという商品を作りたい』と仰っていた。
個人的に、共感すると同時に、時代の潮流もそのような動きがより強まると考えている。

パーソナライゼーションという言葉を聞いたことがあるだろうか?

一般的に、パーソナライゼーションとは、企業がその人のパーソナルデータをもとに、その人に合ったプロダクト・サービスを提供することである。
もう少し踏み込むと、パーソナルデータとはその人のクセであり、好み、趣味、嗜好、感性などが該当する。
さらには、その人さえも認識していない潜在的な価値をその人に提供する取り組みも開始されつつある。

要するに、今後のプロダクトやサービスはみんなのために創られてはならないということだ。
大量生産によるコモディティ化から脱却するキーワードの一つはパーソナライゼーションである。
いかにブランドがその人のために創ったものと思ってもらえるか、そのためにどのようなパーパスを掲げ一貫性を持った言動をするかが重要であると考えている。

もちろん日用品のような消費財は例外であるが、ファッション、エンターテイメント、旅行といった類いはパーソナライゼーションが問われるであろう。そして、その人の心をがっちりと掴むことによって、長期的な関係を築くことができるに違いない。

一人のためにの積み重ねがみんなであると思う、今日この頃である。

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