僕にとっての安らぎは「冒険」だった。
仕事帰りの電車の中
「はぁ、疲れた。。。」
ある平日夜の19:30、勤め先の銀座から自宅へ帰る電車の中で、ある人の口から今にも言葉が漏れそうになっていた。
確かに、最近は疲れる。未知なるウイルスが襲来したご時世を生きる中、どうやって頑張れば良いのか分からないことも多々ある気がする。「このまま今の仕事を続けたら明るい未来は待っているのだろうか。それとも、これを機に新しい仕事に就いてみようか。でも転職市場は冷ややかだ」。少なくとも、このように考えた人は多いのではなかろうか。
一方で、世の中は待ってくれない。
朝は落ちつかない。カーテンの隙間から入り込む朝日を目覚ましに1日が始まり、暖かいコーヒーをずびっと飲みながらスマホを片手にニュースを見る。すると、「〇〇銀行が窓口業務をAIに置き換え!従業員500人カットへ」のような記事が目に飛び込む。のんびりとしているうちに自分の職がどうなるか分からないと、無性な焦りを感じる。
会社に着くと、競争が始まる。「これがこうでこうだから、こうしよう」と立派にプレゼンし仕事を進める仲間をみて自分も負けてられないとがむしゃらに食らいつく。一方で、「あれ、今やっていることって何の意味があるのだろう」と雑念が頭をよぎる。
電車の中で見たその人は、自分の化身そのものだなと思った。
家は安らぎか?
「ただいまー!」
会社帰りに家に帰ると、ホッとする。
ホッとしたついでに出る一言、「疲れた〜!」。(僕だけですか?w)
家は確かに安らげるけど、同時にどよ〜んとした空気が広がっている。なぜなら、家では愚痴が多く飛び交うものでもあるから。家族に対して、目の前に広がる食事に対して、1日を振り返りながら嫌なことを発散する。そして、シャワーを浴びて歯磨きをすると、また忌々しい朝がやってくる。
つまり、家は自分ルーティーンの中の一部であり、安らげる場所ではないのではないか?と考えるようになった。
いつから安らぎを求めるようになったか?
【学生の頃】サッカーに夢中だった。
昼休みが始まる10分前の授業中、友人たちと目を合わせて、我先にとボールをもってグランドに駆け出し、ボールを蹴っては追いかける毎日。放課後は誰よりも早く校門を飛び出し、ほぼ毎日活動のあったサッカースクールへ自転車でガンダ。その頃は疲れも知らずに無我夢中でボールを蹴っていたなぁ。
【社会人になってから】何に夢中だったかな?
約3年間、毎日早起きして会社に行けば、「しっかりしろよ!!」と怒号が飛び交う社内でせっせと業務をこなす日々。
会社にはいろんな私欲をもつ人がいる。自分の地位を自慢したい人や会社に貢献したい人もいれば、ただ金を多く稼ぎたい人、ただ存在するだけの人もいる。
そんな中の僕といえば、社会を知らずに新卒で入社して以来の2年間は、好きか嫌いかは考えずに目の前の仕事を一生懸命やり抜いた。朝から晩まで仕事、もちろん休日返上で。その結果、わかりやすい成果として昇進できた。その時に思ったことは「がむしゃらに仕事しててよかった」だった。
ある程度仕事(社会)に慣れてきた3年目には、様々なことが視界に入ってきた。「会社はなぜこの判断をしたのだろう。」「この人は何を目的にその行動をとるのだろう。」「もっとこうすれば良いのに。」と。
その頃からだろうか、無性に安らぎが欲しくなったのは。
安らぎの正体とは?
結論から行くと、僕の場合は、「安らぎ=冒険」と近いのかなと思う。
今までとは違う何かをしている時、もしくは新しい発見があった時、僕はとてもワクワクする。そのワクワク感は、鬼軍曹から「先の見えない坂道を頂上まで全力でダッシュしろ」と言われるようなツラいことも忘れるほど幸福感に満ちている。要は心が安らいでいる。
安らぎは、自然を感じるとか睡眠とかいろいろあると思う。僕もそれを求める機会があったし、実際に行動した。けれど、その場で感じたことがひとつ、「この後どうする?」。
結局、安らぎの後に苦しいことが待っていると心が安らがなかった。僕の場合は。
そこから、子供の頃に感じたワクワク感を再現できたら、自分の心は安らぐのかなと思うよりになった。僕はサッカーが好きで、何よりサッカーも冒険のひとつだった。練習すればするほど技術が目に見えて向上する。取得した技術で目の前に対峙した敵をいかにして欺くかを楽しむ。強豪には木っ端微塵にされるも、こうしたら良いのではないかと考え練習に励む。結果的に試合に勝利し仲間と喜びを分かち合う。(ONEPEACEみたいですね)
(ちなみに、朝寝起きで砂浜を10km走るようなトレーニングでも、ニヤニヤしながら走っていました。何故なら楽しかったし、何より先にある楽しみが心を安らがせていたようです。)
要は、僕の場合は冒険をすることが、一番の安らぎだった。
大人の自由研究を始めてみては?
「皆さんにとっての安らぎとは?」
これって、子供の頃に考えられるのか?実は、大人になってからでないと考えられないことではないだろうか。
安らぎを求めるようになったきっかけを考える思考力、それを誰かに伝える表現力、そしてよく分からないけどまずはやってみる行動力。
今までの経験そのものが、安らぎという一つの言葉の中に詰まった「あなただけの自由な研究成果」になるのではないだろうか。
今回はたまたま安らぎについて気になったから研究してみた。
けれど、「自由」と名がついている通り、自由に研究すれば良い。
仕事について、趣味について、家族について、会社について、将又たんぽぽについて。
自由研究したものは誰かニヤニヤしながらアピールしてみても良い。
なんだかよく分からないけど、皆さんがニヤニヤしながら誰かに話している姿が浮かぶなぁ。
良かったら僕にも教えてください。
ちなみに、僕にとっての大人の自由研究は、
「これをみた皆さんの感想を見ながら嗜むハイボールは美味しいかどうか」
である。
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