正直かっこよくなりたい 『「いき」の構造』

2021年04月14日

とは言うものの、かっこよさって具体的に何?って聞かれるとゴニョゴニョとした答えしか出すことができない。

僕にとってのかっこよさとは、あえて言えば、なんてゆうか、大人な、上辺だけじゃない、内側からジュンジュン染み出る、色気?、みたいなやつだ。

いつかに見かけた、汚い居酒屋のカウンター席で一人、芋焼酎のロック片手に本を読む無精髭の似合う細身のお兄さんがまさにそれであった。

しかし、じゃあ汚い居酒屋で汚い無精髭伸ばしっぱで、焼酎ひっかけりゃかっこいいんかと言われると、そんなことはなくて、それはただの汚い店の汚い客でしかない。

僕の中で髭が似合うかどうかと言うのが、かっこよさのバロメーターになってくるわけだが、髭がなくたってかっこいい人はたくさんいるのであって、髭の有無がかっこよさの必要条件であるとは言えない。

顔の良し悪しがかっこ良さと関係してくることは間違いないが、顔がいいからってカッコイイとは限らない。
東京で暮らしていれば、顔がいいだけの薄っぺらいイケメンがこの世にどれだけいるかに気がつくはず。
そんなイケメンは自分が薄っぺらいと思われていることを露とも知らないのだから、これまた始末が悪い。

むしろ、そんなに優れた容姿ではない人にこそカッコよさを感じることが度々ある。

かっこよさとは、よくわからないものなのだ。

九鬼修造とは

九鬼は8年間のヨーロッパ留学の中で、大哲学者ハイデガーらに学び、帰国後すぐ『「いき」の構造』を発表した。
ハイデガーとは、20世最大の哲学者と呼ばれるあのハイデガー。
20世紀最大の難書『存在と時間』を著した(しかも未完!)あのハイデガー。
ナチスとの繋がりを噂され、ハンナアーレントというこれまたドイツを代表する哲学者との世紀の大不倫で哲学界を賑わせたあの問題児ハイデガー。

九鬼はハイデガーから”現象学”という哲学的武器を手に入れる。
現象学とは、ザックリ言うと「うだうだ理屈抜かさずに物事をありのまま見てみる哲学」。
プラトンの時代からうだうだ理屈をこねくり回し続けてきた哲学にとって、現象学は爆弾であり救世主であった。

生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあるとこを知っている。しからばこの現象がいかなる構造をもっているのか。「いき」とは畢竟わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得させるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。

『「いき」の構造』

九鬼の目には「いき」はどの様に映ったのか。

1.媚態

 媚態とは、一元的自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。

要は、「え、私たち付き合ってんの?付き合ってないの?」みたいな関係のことだ。
あやふやな、危うい、今にも崩れてしまいそうな、それでも引き合ってしまうアンビバレントな関係にこそ色気が含まれる。

もちろん、「え、私たち付き合ってんの?付き合ってないの?」という問いに対して、「え、あ、まーそうねー」なんて間延びした返しをする男に媚態はない。
なぜなら男はその関係に安住して、楽してるわけで、そこには関係の危うさがない。
こいつは野暮である。

2.意気地
「宵越しの金は持たない」「武士は食わねど高楊枝」なんて言葉がまさにそれ。
その内実には武士道的理想が息づいていることを九鬼は見抜いている。
この日本的男らしさが意気地である。

そこには矛盾する様だが、異性に対する反抗をも内包していて、これが媚態と交わる事で一種のアクセントになる。

3.諦め

 「いき」は垢抜けがしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持ちでなくてはならぬ

例えば、どこか遠い目をした、虚しげな表情に人はなぜか惹かれてしまう。

「月にむら雲 花に風 思うこと叶わねばこそ浮き世」なんてのは『好色一代男』の名文句だが、過ぎゆくものに心なびかせ、執着から抜け出した、仏教的諦観に人は儚げな美を感じる。

別れた後も未練タラタラな男がダサいのは、つまりそういうことだ。

例えば、着物は横縞より縦縞の方が粋らしい。

まず平行線は決して交わらず、揺れる着物の中にあっても、それはあくまで直線的に描かれる。
線と線とのつかず離れずの関係と、しかし必ず交わることがない無骨な態度が表されている。

縦縞の方が横縞より優れているのは、左右に並行に置かれた両目にあっては、垂直の線の方が、平行線の関係を認識しやすいかららしい。

また縦縞には、上から下へと流れる、雨粒や水流といった自然の流れが表されている。ここにこそ、無為な、欲の無い、一種の軽やかさが含まれている。

じゃあ例の兄ちゃんはなんでかっこよかったのか

それは「いき」の要件を満たしていたからだ。

まず、居酒屋で本を読むという行為こそが媚態であろう。
居酒屋は酒を飲んで飯を食って愚痴をこぼす場所であって、本を読む場所ではない。
しかも汚い居酒屋のカウンター。
臭いと、店員の動きと、客の笑い声で集中できるはずがない。
交わらない居酒屋×読書という組み合わせを自然にミックスしてのけている。
二元的関係から媚態が見出せる。

第2に芋焼酎ロック。
読書を遮るサラリーマンの不愉快な笑い声をかき消すかの様に飲み干す、喉を焼かせる乙類焼酎。
割らずにオンザロックのところがポイント。
これがソーダ割だったり、はたまた、柚みつサワーだったりしたらダメ。
芋ロックが正解。
別解はウィスキー。もちろんロックであるべきだ。

最後は細身で無精髭のルックス。加えて少し猫背な方がいい。
読む本も『30代にしておきたい17のこと』みたいな、余生を幸せに暮らす気満々の自己啓発本よりは、坂口安吾とか伊藤整、檀一雄みたいな無頼派を読んでおいてほしい。
あとなるべく、筋トレとかはしないでほしいし、タバコも吸っておいて欲しい。


僕もあの兄ちゃんを見習い、無精髭に文庫本片手に居酒屋に繰り出そうかと思ったが、「かっこよく見られたい」と思ってる時点で、全く「いき」じゃない。
かっこよくなるのは、やっぱり難しい。

※以前書いていたアメブロからの転載記事です。
https://ameblo.jp/yosidayy/

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