「まずいスープ」
2021年03月31日
「まずいスープ」という小説を読んだ。
作は戌井昭人。
鉄割アルバトロスっていう最高に面白い劇団?余興集団?を率いて活動をしていて、僕が昔いた文学座の研究所の先輩らしい。
鉄割については2〜3年に一回ペースで公演やってる。
youtubeとかで検索すれば動画が上がってると思う。
例えばこれなんかお気に入り。
最高にファンキー。
僕は鉄割のファンだ。
しかもこの戌井昭人さんは、文学座の創設に携わった重鎮、故・戌井市郎の孫。
日本演劇史の登場人物の孫が、こんなナンセンスな作品を作ってるってのが惹かれる。
***
「まずいスープ」は141回芥川賞候補に選ばれた作品。
まずまずの評価ではあったが、”何かが足りない”て感じでぼんやりと受賞を逃してしまった。
その評はわからないこともない。
この本、すごく掴み所がないのだ。
上野のアメ横の団子屋でアルバイトする主人公。
ある冬、バイトから帰ってくると父が作ったスープが食卓に並ぶ。
これがめちゃくちゃにまずい。
それは、とにかくまずいスープだった。表面には粉々になったガラスみたいに浮かんだ油が散らばり、ぶつ切りにされた魚の身や骨が無残に沈んでいた。味を思い返すと、今でも口の中には直接、まずさが蘇ってくる。沼みたいなスープだった。まずさが沼の底に沈殿するように、俺の記憶に沈んでいる。
そして数日経ったところで、父が失踪する。
行方不明の父を探しに、父の仕事場の雑居ビルの一室に忍び込むと、そこはもぬけの殻。
しかし、天井裏からビニール袋に入った大麻が見つかる。
そのままにしておいても危険だし、金のない主人公は、知り合いに大麻を一袋売りつける。
そんなこんなしてるうちに父の目撃情報。伊東の温泉宿にいるらしい。
宿に向かい父から話を聞くと、実はロシア人から拳銃密輸の片棒を担がされそうになり、身の危険を感じて姿を眩ましていたのだとか。
翌日、父はどこからかタコを買ってきて、宿の厨房でタコ汁を作る。今度は美味しかった。
主人公が魔法瓶にタコ汁を入れて、東京行の電車に乗っている描写で、この話は終わり。
***
粗筋だけ書き出すと、拳銃だの大麻だの、なんともハードボイルドでサスペンス。
だけど本を読む限り、一切アクションがない。動きがない。
すごく静かに、ともすればダラダラと時間が流れていく。
グラグラとした、いつ破局してもおかしくないシチュエーションの中で、絶妙なバランスを維持しつつ、話が進んでいく。
主人公をはじめとして、その腹違いの妹、やたら酒飲みの母親。
団子屋の女亭主に、生意気な息子といった登場人物の造形とその関係こそがこの小説の勘所。
彼らから感じる下町情緒というか独特の余裕な空気が、全体にじんわりとした重みとヌルさを与えている。
暖かいんだか冷たいんだか、悲しいんだか面白いんだか、重いんだか軽いんだかよくわからない。
絶妙に”中途半端”な奇妙な読後感。
あと、大麻の描写がやけに生々しい
いやいや、絶対吸ってるでしょ。この人。
大麻を吸う人間の描写、大麻パーティーの描写、大麻による幻覚の描写。
まるで見てきたかのような描写。
絶対クロだ。
***
読んだあとなんだかムズムズするし、よくわからない本。
つまらないと思う人は「意味わかんねー」て感じでポイッと捨ててしまうだろうと思う。
でも僕自身、”意味わかる本”と”意味わかんない本”なら後者を手に取ってしまう。
しかも、”意味わかんない本”の中でも「まずいスープ」は”意味わかんないけど何かを感じる本”だと僕は思った。
もっというと、本とか映画において一番大切なことは”意味わかんないけど何かを感じる”てことだとも思う。
「最後の最後にどんでん返しが〜」とか、「○○での伏線がラストで回収されて〜」とかそういう、言語化可能な面白さよりも、「よくわかんないんだけど、いいよね〜」ていう、言語化不可能な面白さの方が価値を感じる。
もっともっというと、そういう言語化不可能な面白さを、なんとかして言葉にしようとすることにも価値があるんじゃないかしら。
だから、読書感想文とか、映画評とか、コラムとか、レビューとかは面白いんだと思う。
ま、いろいろ蛇足で語ってしまったけど、「まずいスープ」面白いんでおすすめです
※以前書いていたアメブロからの転載記事です。
https://ameblo.jp/yosidayy/
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