身近な人の死に慣れなんてなかった。
2月始め、祖父が亡くなった。
僕が小さい頃に父方の祖父母は亡くなった。
祖父は幼稚園の頃に、祖母は小学2年生のときに。
はじめの祖父の死は、小さすぎて何が起こったのか、なんでみんなここまで泣いているのかまったくわからなかった。
お通夜のあとなんて、みんなでご飯食べてるテーブルを回って瓶の王冠集めてたくらいだ。
それと、残念なことに小さすぎて、20を過ぎた今もはっきりした思い出がない。覚えてることはあるけど、これといった話をした記憶もどっかいってしまってる。
ごめんね。
次の祖母の死は、小学2年生のときでも2回目ということもあり、さすがに何が起こったのか分かった。
それに、祖父が亡くなってからは一緒に住んでいた時期もあり、より一層悲しみを感じた。
初めて、人が亡くなることの悲しみを感じた。
ただ、これも今となってはそこまで記憶がない。
お葬式で泣いたのか、どんな気持ちで過ごしたか。
はっきり言って、忘れてしまった。
2人とも可愛がってもらったのに今となってはすごく申し訳ない気持ちがある。
家にお仏壇があるから、何か報告があるときは真っ先にしてるからちょっとは許してね。笑
それからかなりの時間が経って、つい先月、母方の祖父が亡くなった。
あまり詳しいことは、書いていたら今でも泣きそうだから、書くならまた別の機会にしたいと思う。
ただ、意識がなくなってしまってからは覚悟ができていたし、心のどこかで幼いながらに2人の身内の死を体験してるから慣れてるだろうと思っていた。
しかし、
電話で祖父の死を伝えられたとき、涙が溢れてきた。
死に慣れるなんてないんだ。
というより、信じたくなかった。
自分の中で特に思い入れがある祖父だったとか、生きているうちは実感していなかった。けど、家族で誰よりも泣いている自分を客観的に見て、ここまで思い入れがあったのかと感じた。
それから、数日間は事あるごとに思い出しては泣きそうになり、夜ベッドに入ると必ず泣いていた。
そしてお通夜、お葬式。
自分よりも家族である自分の母などのほうが悲しいとは分かっていても、誰よりも涙が出てきた。
今まで、どんな感動的な映画を見ても涙を流すということはほとんどなかった。
悲しいことがあってもほとんど泣かなかった。
そんな自分がここまで泣くなんて、
けど、祖父の死には誰よりも泣けてよかった。
もう書いてるだけで涙が出てきたから、この悲しみを乗り越えるのはまだまだ先みたいだ。
けど、忘れないように近いうちにまた祖父については書きたいとおもった。
今までありがとう。
自慢できるような人生を送って、定期的に報告しに行くね。
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