病気の子どもの母だった、私を支えてくれた言葉たち
ここ数年、母として、1人の人間として、それまでの価値観がひっくり返るような体験をしました。
光が見えず、闇の中を歩き続けるような日々の中、いろいろな人からいただいた素敵な言葉たち。
今、何かに悩んでいる方、どん底にいる方の助けになるかもしれないと思い、紹介したいと思います。
うろ覚えなので、実際の言葉とは違うかもしれませんが、覚えているイメージでお伝えしていきますね。
「子どもが生きて、そばで笑っていることが一番の幸せ」
息子と同病の子どもを持つ、ブロ友さんの言葉です。
息子は体調不良の原因がわからない数ヶ月を経て、思春期に多い「起立性調節障害」と診断されました。
でも、その後、起立性調節障害に似ている別の病気ということが判明しました。
調べて見ると、起立性調節障害と診断され、他の病気とわかる事例は意外と多いということを、他の方々が書くブログで知ることに。
中には、命に関わることや、生涯治らない後遺症を残すような病気であることも・・・・・・。
わたしとブロ友さんの子どもは、体調に不安はあるものの、未来を考えることができるようになりました。
でも、中には闘病の末、子どもがそばにいない親御さんもいる・・・・・・。
それはどれほどの悲しみなのか、想像することもできません。
そのことに想いを馳せると、ブロ友さんがコメントの返信に書いてくれた、言葉の重みを感じました。
普通に暮らしていた頃よりは、大変な日々の連続。
これは、体験した人にしかわからない世界だと思います。
だからこそ、子どもがそばで笑ってくれることの価値を、強く感じることができるのかもしれません。
「何があっても味方だから」
これはわたしの母がLINEで送ってくれた言葉です。
ドラマの常套句のようなこのセリフ。
リアルで使うのは、意外と難しい気もします。
わたし自身も、子どもに言ってあげられるかは微妙です。
「味方でいたい」とは思うけど、ついつい他のことをあれこれ言ってしまう気もします。
きっと、わたしは一生母にはかないません。
「かわいい子どもと長く一緒にいられることが幸せ」
この言葉は、ブログ繋がりの方からです。
経緯はうろ覚えなのですが、病気の子どもとその親は、通院など何かと一緒に行動することが多くなりがちです。
そのため、健康な子どもをもつ親御さんから、「過保護」など批判的な言葉を受けることもあります。
でも病気の内容によっては、子どもだけで聞いて、治療方法を判断できることばかりでなく、しかたないんですよね・・・・・・。
ただ、それを言っても経験のない人に理解してもらうのは難しいです。
ある意味、「長く子どもといられて幸せ」と開き直ってしまうのが一番。
実際、子どもはあっという間に育ち、独立していくことが多いです。
よくよく考えてみれば、人生のうちで子どもとべったり過ごす期間は数年かもしれません。
そう考えると、病気や不登校という事実に、嘆きメソメソした日々を送るより、
「たくさん子どもといられてハッピーな母じゃん、わたし」
くらいの方がいいのかなと思えました。
この言葉を書いてくださった方が、そういう意図だったのかはわかりません。
でも、闇の中を歩くような日々は、視野も狭まり、視点を変えにくいということもあります。
そこに、「まったく違う視点で物事を見てみる」という気づきを与えてくれた言葉でした。
最後に
当時は視野も狭まっていたので、
「どうして自分だけがこんなに苦しい日々を送らないといけないの・・・」
と、思う日もありました。
でも、同じような経験があるブログ繋がりの方に励ましてもらったり、友人や家族に助けられ、今があります。
結果、苦しんだけれど、親として成長した経験にはなったと思います。
「夜明け前が一番暗い」という、イギリスのことわざを知っていますか?
光がすぐそこまできているけれど、暗闇がまだまだ続くように感じる時が、一番苦しいのかもしれません。
生活も仕事も思うようにいかない日々。
あの頃のことを思うと、今はわたしも子どもたちも、ちょっとずつ前に進めているような気はします。
今度は、わたしが思い悩む人に対して、心の支えになるやさしい言葉をかけることができたらと考えています。
その人の置かれた状況で、心に響き、届く言葉というのは違うでしょう。
実は心に響く言葉を相手に届けるというのは、とても難しいものなのだと思います。
人それぞれ感じ方が違うから。
でも、できる限りは相手の気持ちに寄り添った言葉を届けられる存在になれたらと思います。
子どもに限らず、大切な人が元気でそばにいてくれること。
日常生活に埋もれて、忘れてしまいがちです。
でもそれは普通でも、当たり前でもなくて。
みなさんの大切な人が元気でそばで笑っていてくれますように。