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遠くなってしまった青春

一昨日、高校センバツ野球の試合を見てきた。

正確にはアルバイトの一環で、画面越しに見ていたのでほぼTV観戦だったのだけれども。


この日の第2試合後半から見始めて、第3試合はフルで見ることができた。
私は野球に詳しくはなかったのだが、1試合見ただけで「野球って面白いなあ」と思えるくらいには私がチョロ……いや、野球というのは魅力的なコンテンツに感じた。

東播磨対明豊。

実は東播磨高校は私の地元、兵庫県の高校のひとつだ。あと高校時代の放送部や演劇部の強豪校だったので聞き馴染みがあった。

地元愛、そんなにある方じゃないと思ってたけど、やっぱり熱くなってしまうんだなと……。TV画面にめちゃくちゃ喋りかけてしまった。よくない。周りの人に気持ち悪がられてしまう。

でも試合展開が本当によかったのだ。1回から東播磨が3点入れて始まって観客のボルテージ上げてきたし、それを直後のウラで3点取り返したあたり明豊はさすがだなあと……。あと守備が両校とも上手くて、ルールもふんわりとしか分からないのに見入ってしまうほどだった。両校譲らずといった具合で、延長戦にもつれ込んでもなお粘った、いい試合だった。

二十一世紀枠ってどういうものなのかよく分かってないんだけど、よく頑張ったなあ健闘したなあと。お疲れ様でした東播磨。もちろん明豊も。


それはそれとして、もうTVの向こうで人生賭けて頑張っている彼らも年下なのかと思うと、時の流れを感じてしまう。
それこそ自分が学生のときは、彼らは同じ教室で授業を受け、友達とふざけ合うような「近い」存在でもあった、間違いなく。(まあうちの高校は全然強豪ではなかったけれど)

ただ大学にもなると、私の大学はクラス制度がないから尚更、体育会系と文化部系の「棲み分け」がはっきりしすぎてしまうわけだ。
自分のいるコミュニティ以外の同学年がどう生活していて、どんな成果をあげているのか分からなくなってしまう。それこそ本当にメディア越しでしか知ることができないのだ。
これではもうプロのスポーツ選手と精神的な距離感は変わらない。


でもいわゆる「青春」っていうのはたいていそういう部活とかのなかにあるわけで。大学生になってからそういうものが本当に遠くなったことを痛感する次第なのだ。そういったものと相性の悪い人生を送ってきた私だけれど、それでもちょっと寂しい。


ただ、そうして遠くなったからこそ、人生をあるものに捧げて青春している人たちの「青春」要素しか見えなくなるから、かえって素直に応援できるようになった感覚もある。今回の高校野球もそうだけれど、普段の姿を見ていたらここまで熱くなれなかったような気がする。なんだろうねぇ……ひねくれてるんだろうな、私。

そんなところで、まとまりはないけど今回はこの辺で。ではでは。

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