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日本の障害福祉の現在地

こんにちは。
メガネのソーシャルワーカー事務所のだいです。

今日は「日本の障害福祉の現在地」というテーマで書いてみます。
年末にふさわしいテーマかなと思い、来年以降の障害福祉がどうなっていくかの予想も考えられたらと思っています。


障害福祉の問題点

問題点はあげだしたらキリはないのですが、いくつかトピックをあげてお話できればと思っています。

障害福祉の問題点
・平均を育てる教育と分離教育
・障害者雇用
・重度の障害のある方の生活

この3つのトピックでお話します。


平均を育てる教育と分離教育

ぼく自身は、教育者ではありませんので、あくまで小学生の子を持つ親として、また福祉という立場から関わったり、見たりした学校について語らせていただきます。

日本の教育は、平均的な人間を作り出す教育だと、ぼくは思っています。
赤点がひとつでもあれば、再試があったり補講があり、すべての教科が平均点以上を取れるように調整していくわけです。

どれだけ数学の能力がズバ抜けていたとしても、他の教科がダメダメだったら学校では評価されないし、大学に入ることも困難になる可能性が高くなります。

結果まんべんなく点数が取れるように勉強をしていくことになります。

これが大人になってどうなっていくかというと…。
完璧主義者や自己肯定感低下してしまう人が増えてしまうんですよね。

苦手を直すよりも得意を伸ばす方が良いというのは、もう随分昔から言われているように感じますが、それがいまだに教育に反映されていない。

苦手を克服するというのは、とてもツラいです。
出来たくても出来ないという状況は自己肯定感を下げてしまいます。

さらに出来ないことがないようにしていかなければいけないという状況は完璧主義者を作り出します。

自己肯定感が低い
完璧主義

この2つは、生きづらさを生み出す魔物です。
現在の教育は、生きづらいと感じながら大人になっていく人を作り出してしまっている可能性が高いのではないでしょうか。

そのせいで精神疾患を抱えてしまうことになる人も多くいることでしょう。

さらにこの平均的な人を作り出す教育は、分離教育を助長させます。
障害のある人に平均を求めるというのは、とても過酷だからです。

日本は分離教育をしていて、インクルーシブ教育には、ほど遠いと国連からも勧告を受けている状況で、今の教育環境を変えていく必要があるのですが、現状のままでは分離教育をやめることは困難でしょう。

障害のない人と障害のある人が共に同じ教室で学べるようになるための土壌として、得意を伸ばす教育への転換が必要だと思います。

そのうえで、予算やマンパワーも必要。
例えば、iPadの支給や、看護師の配置などが考えられるかなと。
知的障害や発達障害のある人が学びやすい環境や医療的なケアが必要な人でも学べる環境の整備が必要なんですよね。


障害者雇用

次の問題点のテーマは「障害者雇用」です。
先程の教育の話から繋がってくるのですが、分離教育の弊害は大人になってからしわ寄せがきます。

分離教育によって健常者(障害のない人)が「障害のある人と関わったことがない」ということになります。

そういった方多いのではないでしょうか?

結果、障害者雇用促進法によって障害のある人は雇わなければいけないけれど、雇ってみたものの「どんな仕事をお願いしていいのかわからない」「どのように配慮していいかわからない」「接し方がわからない」といったことが発生します。

これって雇用するにあたってお互いに良くないですよね?
仕事続かないんですよ。

これって単純に障害に関する知識がないとかそういう問題じゃないんですよ。
もちろん知識はあるに越したことはないんですけどね。

関わったことがなさ過ぎて、未知の存在に対して腫れ物に触るような関わり方をしてしまうことが問題なんですよ。

僕は娘の友達にも発達障害のある子いるよ?
でも、他のお友達と同じように仲良く遊んでるし、そこに障害があるからとかないからとか、知識もないし、そんなん全然関係ないんよ?

でも大人になってから、未知の存在と一緒に仕事をしていかなければいけないという状況はね。
それは、大変よ。

だから別に「障害にある人とどう接していいかわかりません」と言われる企業の方が悪いわけじゃないんですよ。

そういう状況を作り出している社会システム・教育システムに問題があるんですよね。

システムが変わらんと根本的な解決にはならんのですよ。


重度の障害のある方の生活

最後のテーマは「重度の障害のある方の生活」です。
いわゆる重度心身障害者・児ですね。

重度心身障害のあるお子さんを地域の中で育てていくことは、とてもとても困難です。
親が仕事を辞めて付きっきりでやっていくことになりますが、誰もができることじゃないと思います…。

しかし、重度心身障害の入れる施設というのは、かなり少ないです。
お住まいの地域の中にひとつでもあればラッキーなくらいです。

この状況がさらに悪い状況を生み出しています。
まず、利用する側に選択肢がない。
だからどんなことがあったとしてもそこに入所するしかない。

有名な事件で「相模原障害者施設殺傷事件」があります。
入所者19名が死亡した大変な事件でしたが、その施設はどうなっているのか?

今も施設は経営されています。
もちろん、二度と同じようなことが起こらないように色々な対策はされているのですが、そこに入所しようと思う人がいるっていうのは、事情を知らない人からすると驚きなのではないでしょうか?

殺人事件までいかなくても、虐待が起こった施設はたくさんあります。
そのような施設であっても入所し続けるしかないという状況は全国で起こっています。

障害が重度になればなるほど、選択肢がない。
これは正直、国が責任を果たしていないのではないかとさえ思うのです。

重度心身障害があると学校へ通うことも難しいというか、ほぼ不可能です。
義務教育なのに、学校から拒否されるんですよ?
それって義務を果たしていると言えますか?

地域で暮らすことも、学校で学ぶことも出来ず、入所したくもない施設に入るしかない状況は、どうにかしないといけないとは思っています。


個人的こうなったらいいな

これらの問題をどうしていけばいいのか…?
個人的にこうしていったらいいのではないかというお話をします。

しかし、あくまで希望的観測かもしれません。
理想と言われれば、それまでですが、理想を掲げないと実現はできないということで勝手に理想を話します。

まず、分離教育は廃止!
そのために平均を目指す教育も辞める。

数学100点、英語0点でもOK!
苦手を埋める教育はしない!

得意が突き抜けているなら飛び級もありな制度にする。

これすなわち、得意や個性をガンガン伸ばしていく教育。
そして、苦手はやらないという選択肢を提示すること。


今まで学校に通えなかった医療的ケアの必要な重度心身障害のある方のために特別支援学校を廃止して浮いた予算をマンパワーや学校設備に投入。

看護師の配置やIT機器の拡充を推し進める。
学校のIT化を進めていくことでマンパワーの節約や通学できなくても自宅や病院から授業を受けられるようにしていく。

そもそも学校の先生が授業をする必要も個人的にはないと思っていて、優秀な教師が授業したものを録画したもので全国統一でいいんじゃないかとさえ思っている。

学校の先生の役割はそこじゃないんよ。
生徒のケアやサポートに注力できる体制が必要なのだと思います。


さて、分離教育が廃止されて社会はどう変わるのか?

分離教育の廃止によって、障害のある人と関わったことがないという人がほとんどいなくなっていく。

さらに、今まで平均や学歴を求めていた企業が能力主義(ジョブ型雇用)へ転換する。
能力主義だとさらに障害のある人は働きづらくなるのではないかと思われるかもしれないけど、僕はそうは思いません。

能力というのは、何を求められるかというのが環境によって変わるわけです。
平均を求めなくなった先は、一芸があるかどうかです。

接客や電話対応は出来ないけど、めちゃくちゃデザインができるとか
公共交通機関使えないので通勤できないけど、システム管理が得意で社内のシステムを遠隔で管理できるとか

そういったひとつでも秀でているものがあれば採用できる社会が望ましいと思います。

実際、障害者雇用制度がなくても障害のある人が問題なく働けている国では、このジョブ型雇用というのが主流となっています。


まとめると
・分離教育の廃止
・平均を求める教育の廃止
・個性を伸ばす教育の導入
・飛び級制度の導入
・学校IT化推進
・福祉・医療職の配置
・企業のジョブ型雇用への転換

といった感じですね。
理想ですけどね、がんばれ日本!

今年のnoteの配信はこれで最後になります。
みなさま良いお年を!

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