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序章:新しいステージはコロナの始まりと共にやってきた

話は前後するが2020年3月に始まったロックダウンのせいで会社がクローズしてしまい賃貸の家賃を失業保険から払うことになった。
当時は2ベッドのゲストハウスを1400ドルで借りていたのだが
失業保険の中から家賃を払う度に賃貸で住むことの心細さを初めて感じて
家を買おうと決意…コロナの前には考えられない心境の変化だった。
大家さんの家にはそんな時でも人の出入りが多く、コロナの感染が怖かったこと、予測不可能な先行の中、賃貸で家を借りているのがお金を「無」に費やしているような気分になり「家」という確かなものが欲しくなったのかなと思っている。
イメージとしては払った家賃の上に自分がいる、いざとなれば売ることができるという安心感だった。

幸運にも会社がクローズして3か月後の6月には会社が再オープンして
私は会社へ戻ることになったが、そのうちの数人はその間に新しい職を探したり、最後まで会社が呼び戻さない人もいたりして、それぞれの人生が変わっていった。

昨日が思い出になった日

ロサンゼルスで過去それぞれほぼ16年ほど仕事と音楽をしていた私はまず会社が閉じられたことで
思いがけず失業者保険のお世話になることになった。
そして多くの人も同じ状況になり、当時音楽活動の拠点としていた
24時間ロックアウトのリハーサルスタジオをレントシェアしていた数バンドのメンバー達がレントを払いきれずにスタジオを離れていった。
 
 コロナの最中もなんとか工面していたものの、いろいろな状況に直面してメンタルの問題で帰国するメンバーもあり、上がっていくレントの値段も加わり、ついに16年間居続けたスタジオを解約し、(メンバーの家族の状況等もあり)私達の音楽活動は2021年にて開店休業という名の終止符を打つことになった。


長い音楽活動といえど、私はどちらかといえば「富士山」的な立ち位置のメンバーで、音楽活動の楽器は得に上手いわけでもなく、むしろサンバダンサーとしての活動に重きを置いていた感はある。
ただ、それでも私の帰る場所としてそのロックアウトスタジオはいつもあった。
ノイズバンドとしての活動はライブは殆ど無くスタジオでメンバーと共に
あーだこーだ、今度はこれをしてみようアレをしてみようという感じだった。

ロックアウトは引き払っても、貸しスタジオで活動は細々とやっていけるのではないか?と思っていたが、他のメンバーにはロックアウトを引き払うイコール活動停止であったようで、活動を続けることはなかった。
そこからの1年はあっという間に過ぎ、1年を過ぎた頃、ユニットの再活動は無いのだと理解した。
そして、今までの音楽活動の記憶が「思い出」となり
まるで学校を卒業してしまったような、陳腐ないい方をすれば
ようやく青春が終わったような気にさせられた。
長い青春が終わり、ようやく普通の大人の生活になるのだと。
今まで続いていた昨日は、ついに「思い出」となってしまった。
それまでの昨日と切り離され、これからは新しいステージが始まるんだな
そんな感覚に包まれた。


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