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生花を枯らさないために退職しただけ

2末に「適応障害・うつ症状」と診断され、休職し始め約5ヶ月。
復職を目指したものの、結局8月中ばに退職しました。
休職から退職に至ったまでの備忘録。自分のためにまとめます。

開き直って、全部治すを目標に

過労によるストレスは3ヶ月ちゃんと睡眠・食事をとって、
ちゃんとひとりの時間を持って、実家でだらだらしてたらほぼ治ったけど

せっかく飽きるくらい時間があるから、
多忙を理由に放置してきた貧血、アトピーの治療もした。

大学から貧血だけど、不規則すぎる生活で引くぐらい悪化していた。
予備の血が皆無で測定不能を叩き出した、血までフル稼働させてたらしい。
ごめんな、血。(ピルで死にかけた話はまた今度まとめます)

社会人になって病院に行く暇もなくまる2年塗り薬切らしてた。
昨年夏胃腸炎になって、1週間高熱で寝込んだら己の熱でアトピー死んだ。
でも復活しよった、今度こそ根こそぎぶっ潰す!
(アトピーが治りそうで治らない話も今度まとめます)

現状、貧血は許容範囲に。アトピーも大分落ち着いてきた。
顔色悪すぎてブルベと言われ続けてたけど、イエベに戻ってきた。よし。

退職を決意した一番の理由

休職中月に1回、産業医面談があった。
体調はどうですか、睡眠薬は飲んでますか、運動はできてますか。
会社に戻りたい気持ちは湧いてきましたか。

毎月産業医に「戻りたいです、でもまだ体力がないです」と伝えた。

4月に第二新卒枠狙って、体力振り絞って就活したり、
転職サイト漁ったりしてたけど、やっぱり弊社(前職)がすきだった。
意味わからないくらいに労働時間長いし、不規則だし、
それでも刺激的で、大きな仕事に携われる充実感ですっかり麻痺してた。

でも復職するには全然圧倒的に体力がなくなってた。
体力が一気に落ちすぎてベットから動けなくなったり、
筋肉つけなきゃと近くの公園から歩いて帰ってきただけで爆睡した。
筋力が落ちたからか、直近1ヶ月で体重が4キロくらい落ちた。これは嬉。

年末まで社畜の一員だったからこそわかる、
「今自分、全然、全く使えない」という現実に落胆した。
仕事ができない自分があまりにも虚しすぎて、辛すぎて
医者に無理を言って復職可能の診断書を書いてもらったこともあった。
でも産業医のNGでまた休職は延長された。貧血治ってからねと。

復職できると思ってた。でも延びた。それだけでも心は大分折れてたけど、
「みんなと同じ熱量で仕事できる?そうじゃなきゃみんなに失礼じゃない?」
産業医に言われ、その瞬間ポッキリ折れた。

「できないことないです!やれます!どうにかします!いけます!」
もうなんでもできます論者には戻れないと思った。
でもそれができないとできる仕事じゃないのもわかってた。

やっと決意できた瞬間だった。
とりあえず7末までは休めと言われ、ゆっくりしてたけど
結局次の産業医面談で「辞めます」と伝えた。

生花を買った日

散々休職してたから同期LINEで大袈裟に報告するのも億劫だった。
だから配属先と本社と、4日かけて出勤してた人に直接挨拶した。

久々の会社がたのしかった。未練はダラダラだった。
仕事さえハードじゃなきゃ、人は大好きなのにと心から思った。
上司に最後にイジられときたいと自分から振ったり、
いつも強面のお偉いが初めて微笑みかけてくれたりもした。

次何するの?とみんなから聞かれた。
「クソニートします!」と答えると羨ましがった。変な優越感だ。

謎に内勤の方々とも仲が良かったから、散々長話した。
みんな優しくて、ほんとに辞めてもいいんかなと何度も思った。
大学4年の内定が出た瞬間、あんなに嬉しかったのに
あんなにみんな喜んでくれたのにこんな辞め方でいいんかなと。

社携と社用PCを返却して軽くなったリュックは、
代わりにヘリウムでも詰めたんかなというくらい軽かった。
会社から出てまだ明るい空がほんとに澄んで見えた。

帰りに会社近くにある、仲良いお花屋さんに寄った。
社畜時代は買えなかった生花がほしくて選んでもらった。
今日で退職するんです、クソニート祝い〜!と笑うと
綺麗な青色のドライフラワーをオマケでくれた。

お釣りもらい損ね、釣りはいらね〜ゼ!ととぼけたら
「クソニートなんだから!」と突っ込まれたのがめちゃ楽しかった。

相変わらず仕事は決まってないけど、
「生花を枯らさない生活をする」って目標ができた。

小さな黄色い花が四方八方にニョキニョキ咲いた一輪挿しは
どの方向にも行けちゃうな〜何にでもなれちゃうな〜
と言ってくれてる気がして元気がでる。

よし、気長に、気長に転職活動するぞ〜〜〜!!!!!

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