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2020年冬に衝撃を受けたときの話(IN フィリピン)

2020年2月フィリピン渡航したときは
一週間で留学取りやめ、その後二週間から三週間滞在後、
帰ってきたときの衝撃が忘れられません。

というお話を前記事でさせていただいたので、
今回はそれについて・・・(*'ω'*)


①フィリピン渡航前のお話
フィリピン渡航する前にすでにコロナの話は出てました。
2020年1月の時点です。

ちなみに2020年1月はマルタ留学しており、
帰国して1週間滞在したのちすぐに
2020年2月に、フィリピンに旅立ちました。
(複雑でごめんなさい('ω'))
フィリピンは長期留学になる予定であり、
海外大学留学の足掛かりにしようと思っていました。

私はマルタを予定通り去ったあと、フィリピンに無事入国します。
家族とは「ギリギリ行けてよかったね」と喜びながら
話をしたのを覚えています。


フィリピンに滞在していた時、語学留学しているので
学校に週5で通うことになります。
私たちには学校の仲間がいてサポートする人もいました。

②ある日の学校のざわめき

ある金曜日に突然学校全体がざわつきました。
大したことはないだろうと思いながら、教室に座ったままでした。
私にはリーディングの中にクラスメイトがいました。
フィリピン留学した人がいればわかると思いますが、4~6人でグループは基本形成されます。
朝の授業・夜の授業は多人数なときありますけどね!

そのクラスメイトは、その週に(次の日か2日後)帰る予定でした。
その子は高校生三年生で、卒業式のため一時帰国し、また戻ってくるという感じだった気がします。
その週の金曜日にまさか「コロナで語学学校の授業を停止する」なんて
思いもしませんでした。

たしかざわついた理由は

”ロックダウンをする。”

でした。
フィリピンは大統領が大変厳しいです。
あまりフィリピン国民はよい風には思ってないみたいです。

私はセブにいました。
確かマニラのほうからロックダウンが徐々に広がる、
そんな感じだと思います。

その話をその子から聞いたときとても驚きました。
同じ中国人の友達からも聞いて、たいへん驚きました。

日本人サポートの人は大学生で、とても若く
そんな彼に特に未成年が殺到する姿を見て
きっと彼は来たことを後悔するだろうと思って眺めたのを覚えてます。
未成年には保護者がバックにいますから、
きちんとした対応しないといけないでしょう。

学校全体がざわめいて、もちろんそこにいる職員も唖然とします。
みんなみんなびっくりです。


③さらなる驚き

その時はロックダウンに驚いてはいましたが、
本当に学校が語学授業を停止するのかは不明でした。
しかしその数日後こんなことを政府が発表しました。

”語学学校の授業停止” です。


語学学生にとっては大騒ぎです。
彼らはすぐに帰りの航空券を取り始めました。
大慌てです。
一部の人はほかの学校に移ることを考えてたりしてました。
残ろうとしたんです。(結果としてはほぼみんな帰国したと思います)

そのあとは(航空券とって落ち着いたひとたちは)
もうみんなで開き直ってました。
カフェで集まって、仕方ないねあははって感じで
私はトランプゲームを日本人と戯れながらやったのを覚えてます。

④別のキャンパスへ引っ越す


その数日後には
私たちは結構大きい学校だったもので
キャンパスが複数あり、一つにまとめられました。

そのお引越しのときすごく覚えてます。
食事を提供してくれた方たちが
解雇されるっていうんです。

どうするのこれからって聞いたら
実家に帰るけど分からない。って言いました。
今まで食事提供をしてくれた方が解雇されるって
中々の驚きです。

その方は とても悲しいし本当なら残りたいって言ってました。
その言葉は物凄く心の中まで響きました。

別のキャンパスに引っ越したあとも
私たちは開き直ってました。
ウーバーでタピオカ頼んだりしました。
(たしかウーバーって名前じゃなくてパンダのアイコンのアプリかな)
もちろんトランプもしました。

もちろん毎日人は減っていきます。
私は引っ越し前に 知らない日本人だった方とお話しして
「シンガポール行きたいしシンガポールで少し過ごして帰ろうかな」って
少し思っているって言ったら

彼が「いや日本行きの航空券をとったほうがいい」
って言ってくれたのを覚えてます。
その時に帰りの航空券は取りました。
彼には感謝しています。(今何してるかわかりません)
そんなこんなでなんとか最後の人にならずに帰ることができました。

ちなみにそれ以上滞在すると、日が多くなるにつれて
エクストラ料金を払わなきゃいけなかったので
みんな帰国したと思います。

⑤未成年の大変さ

その中で一緒に長く過ごした日本人の一人がいました。
高校生でした。
高校生なもので、未成年だからサポートの人は下手なことができず
航空券をとるべきか直前まで迷ってました。

未成年なので、語学留学する際に提携していた会社に連絡し
航空券をとってくれるといってるのに
一向に取る気配がない、だったと思います。

私は「今すぐ取りな」って言いました。
彼女は家族と電話しながら最終的には困り果てながら、取ったと思います。

⑥帰国
そんな語学学生の温かさに包まれながら
私は同じような時間帯の日本人男の子と共に、
タクシーをピックアップし、セブ空港まで向かいます。
無事に乗ることができ、関空行きの彼ともお別れをしました。
なんともやるせない思いでした。

私には目標がありました。
TOEFLとIELTSどちらでもいいのですが、目標スコアがありました。
海外大学に入るためには必要だったんです。
そのため、やるせない思いは消えることがありませんでした。

しかし仕方がないことなので、もやもやしながらきっと
帰路についたと思います。


⑦そのあと

そのあと、私はフィリピン・マルタどっちもチェックしてました。
フィリピンの語学学生は無事に帰れたと思います。
しかし残った人は中々苦労しているお話を聞いた覚えがあります。

テレビで、日本がチャーター便を手配してそれに乗っている人たちの
映像をみた記憶もあります。
彼らは欠航されまくって、帰れなかった帰宅難民だったと思います。
そのような映像見て
家族からは「帰ってこれてよかったね」って言ってましたが、
まあ複雑ですよね笑

かなり複雑でしたよ、
そもそも1週間しか滞在してないんだから、
飛ばなかったらいい話じゃんっていうところはありました。

しかしまあ貴重な経験でしたし、
学校で出会った中国人の子とは今でもすごく仲良くて連絡を取ってます。


ちなみに「マルタ」に留学していた子たちのほうが
とても苦労してました。
2020年1月帰国しましたが、
このころすでにコロナの存在が発覚してました。

この時は特に、コロナについて不安を抱えることはなかったです。
「マルタ」は、イタリアの下にある小さな島で
公用語が英語な国です。
マルタでは、南アメリカ大陸の留学生が多く、
フィリピンでは、アジア圏の留学生が多いです。

どう苦労してたかというと、
おそらく2020年2月には
クラスはオンライン授業化で困惑が広がります。
その後、航空券をとるかどうかですごい彼らの中で迷いが生じたと思います

私は行くとき
ドバイ経由でマルタに入りましたが
見せてもらった航空券によるとそれより長いフライトで
かなり高い値段で売られてたと思います。

おそらくフィリピンの留学生より
マルタの留学生のほうが
遠いのもあり苦労していたと思います。


⑧まとめ

こんな苦労した話を詳細まで話すのは初めてだったりします。
その当時、ラインで友達に言ったりはしたかもしれませんが
改めて言う場面は少ないですね。

ここまで苦労すると次渡航するのがなかなか怖くなります。
そんなんでも今メキシコにいたりするものですが。
彼らとはただの友達じゃない、危機を乗り越えた仲間だと
思っています。
(連絡はとってないですけどね、帰国後安否確認してそのまま風化してます。)

改めて概要だけお話することはありました。
2021年夏にオリンピックでの案件をきっかけに、
DMM英会話を始めたんです。
DMM英会話でもフィリピンの先生が多いもんですから、
フィリピンの先生に当たった時、最初に自己紹介の中で交えながら
言ったりしました。

なんとも苦い経験で
私は大学留学をやめざるを得なくなり、
計画がすべて一転しました。
すべて崩れ去り、今でも人生計画を迷ってる時があります。

それでも何とか生きてます。
コロナが今年の夏にはなくなればいいなって思っています。

私はフィリピンで授業をうけながら過ごした1週間を除いた
授業を受ける権利がある日がかなり残っています。
私はフィリピンに戻った時、その学校で授業を受けることができます。

しかし、それはまだ叶うことができません。
フィリピンは今また再び軽いロックダウンの風潮があるみたいです。
(DMMで話してるためダイレクトに知るとこができる)

私はこの話(フィリピンに戻らなければならない)をしたとき
留学したことない人にとって
戻っても戻らなくてもいい、あなたが戻りたいと強制的に思ってるだけ
と言われましたが、私は必然だと思っています。

なぜなら、私はフィリピン留学(全部で2回目訪ねてます。これは1回目)でかなり人生観が変わったからです。
私は一回目行く前、うつ病でした。
しかし英語でなんとかうつから抜け出して、変えてくれたのは間違いなく
フィリピン留学でした。
私のかけがえのない外国人の友達・日本人の友達は、フィリピンで出会いました。経験ない人だからかもしれませんけど、そんなことを言われて心の中であきらめとショックが混ざったのを覚えています。
そこまで深くはないですけど、そういう風に考えちゃうんだって思ってしまいました。人によって価値観違いますよね。

苦い思い出を共有できるのは、プラスになることだと思っています。
私はうつ病のとき、思いを共有できませんでした。
今DMM英会話を通して、自分の様々な立ち位置について共有できることをうれしく思っています。
とても気が楽になるからです。

フィリピンの先生をはじめ、自分をあまり知らないいろんな人に聞いて回ることもあります。
浅い関係だからこそ言えることってありました。
メキシコの件も、悩みすぎて一人の日本人親友に相談したあと(この子もフィリピンで出会った)フィリピンの先生に打ち明けたりしました。
でもメキシコ行きを選ぶかどうかは私次第なので、あまり相談できたかっていうと、いつもよりは遠慮がちになり言えない日もありましたよ笑

もしあなたが、大きい悩みに直面した時
その時は言えなくても、いずれ言える日があるといいですね。

これが大きく良い方向に転ぶかわかりませんが、
メキシコ滞在頑張っていこうと思ってます。

今回はここまでにしようと思います。

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