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【幼少期編】自信を持つって、雲を掴むような話じゃないですか?その1

さて、写真の次に母親が持ってきたのは、

かくして、写真に写っていた賞状の山だった。

実家に置いておくのは邪魔だから、自分で処分しろというのだ。


ここでも解説が必要なのだが、

これだけ聞くと、母親はわたしのことをよく思っていない、

という風に思う方もいるだろう。

何を隠そう、わたしもその内の一人である。


ただ、母親の論理は違う。

母親自身が要らないものは捨てたいが、

自分の判断だけで捨てると、

わたしが後で文句を言ってきても嫌なので、

わたしと一緒に捨てることで、自分が必要なものだけ残したい。

こういうことなのである。

わたし自身書いていて、何とも言えない気分にはなるのだが、

彼女の理屈だとこうなる。


わたしが作った作品と、それに対して与えられた賞状は

ダンボール箱2箱分に入れられ、

台車にのって、自宅の玄関まで運ばれた。


玄関の土間で、母親と二人。

わたしは、早速燃えるゴミの袋を2枚用意した。

「あんた、捨てちゃうの?」

「捨てるけど?」

「中身を確認しないと」

「わたしはいらないけど?」

中身の確認を執拗に要求する母親と、

時間が勿体ないからとっとと捨てようとするわたしと。

まぁ、もちろん、2往復程度のやり取りで

わたしが折れるわけだが。


母親の強い希望で一枚一枚取り出していく。

絵画コンクール、書道、読書感想文、水泳、

英語のスピーチコンテスト。

小学校1年から6年まで、欠かさず何らかを受賞していた。

書道に至ってはほぼ毎月、業界雑誌の受賞者欄に名前が載っていた。

そういえば、毎月載っていることを確認するのが、

小学生だったわたしの唯一の安心材料だったことを思い出す。


ダンボールの中には、書道で書き溜めていた練習用紙も残っていた。

もちろん一部だが、広辞苑1冊分程度の紙束には、

鉛筆で書かれたひらがなが、びっしり敷き詰められていた。


「ほら、あんた、こんなにも頑張っていたのよ?」

母親が、ほら見て?と言わんばかりに見せてきたが。

わたしには感動も何もなかった。

なぜなら、今とやっていることは、

そう変わらないからだ。

今も当時も、わたしのスタンスは変わらない。


わたしは昔から特に欲はなかった。

ただ、やらなければ殺されるかもしれないという、

恐怖心だけで。

何か結果を残さないと、生かしてもらえない。

ああ、そういう意味では生存欲求はあったのかもしれない。


生きるために結果を残す。

その為にはどうすべきか。

答えはシンプルだった。

出来るまでやるだけ。


とにかくやる。

初めは全く先も見えず、ただ、闇雲だが、

やれば、やっただけ見えてくるものがある。

どこまでやれば、賞がとれるのか。

そんなことさえ見えてくる。


ただ、賞を取ったからといって褒めてもらえるだの、

認めてもらえるだのはない。


賞を取ったからといって、いい気になるな。

だれも取ってくれとは言っていない。

大学入試には関係ないから、こんなものは無意味だ。


そんな言葉しか当時、母親からはかけられなかった。

ただ、それでも、母親から満足げな空気が読み取れたので、

わたしは生きるために賞を取り続けるしかなかった。

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