「髪を染めたことのない私」は私の人生からはいなくなった。
先週初めて髪を染めた。
「今日初めて髪を染めるんです」
美容師さんにそう伝えると、美容師さんは染色の準備で手袋をしながら言った。
「というと、一度も染めたことがないのは今日が最後なんですね」
私はこの言葉を聞いた時、「あ、」と声を出しかけた。
そうだ、髪を染めていない私は今日が最後で、もう二度と私の人生には髪を一度も染めたことのない私はいなくなるのだと唐突に気付いた。
このことに気づいた時、私の人生は一度きりであるということを実感した。
これまで一度きりの人生悔いの残らないように勉強しましょうだの、人生一度きりなんだから好きなことやらなきゃ損でしょなど、数々の言葉を聞いてきたが、なぜか他人事で、人生人生ってよくわからないなと感じていた。
だから、日常生活でダラダラしていても、まだまだ人生は長いし、今くらいダラダラしてもいいよねなど、いつまで永遠に続くような気でいた。
しかし、髪を染めるというとき、私の人生から「髪を染めていない私」は今日限りでいなくなり、新しく、「髪を染めたことのある私」が誕生するということを知った。
どんなに望んでも、髪を染めたことのない私はもう二度と私の人生に存在することはないし、もう二度と染めていない純粋な私の髪は戻ってこない。
この時、初めて実感を伴って、「人生は一度きりなのだ」ということを理解した。
そして、人生には、常に、新しく得ることによって、失われるものがあることを知った。
人生は取捨選択の日々で、得ることによって何かを失う。
自分に得たものが加わるだけだという考えもあると思うが、それも見方を変えると、「何かが加わる前の自分」はもう自分の人生からはいなくなるということであると思う。
だから何かを得たいと願ったとき、同時に失う覚悟を持たなくてはいけないと感じた。
そして、本当にそれは失っていいものなのか、また失ってでも得る価値のあるものなのか常に自分自身に問い続けなければいけないと思った。
何かを得ることで人は成長していく。また、失うことで成長もしていく。そして、その時、何かを得るために行動することは非常に勇気がいり、多くの人はそれを「素晴らしい」と称賛する。間違った方向に動いている集団の中で、正しさのために、一人だけ異なる行動をとれば、集団はその人を責めるかもしれないが、いつだって歴史を変えてきたのはそのようなはみ出してきた人たちだと思う。だから私も、新しく何かを得ていくことが成長であり、でなければ停滞であり、いけないことであると考えていた。
しかし、何か動き出す直前に、自分で考えた結果、得ないこと、「染めない」ことを選ぶということもまた、勇気がいる。そして、それは、得られる状況下においては、最も難しい選択かもしれない。自分が新たに得ることのできるものを得ずに、逆に今までの得ていない自分を選択するのは、これまでの自分に自信を持っていないと難しいことではないかと感じる。
だけど、得ないからこそ、得られる自分や、得ていられる自分がいるのだということを理解した。
これから、私は何十年も私を生きていく。
その人生の中ではたくさんの取捨選択の場面に直面すると思う。
だからこそ、私は今回の「髪を染める」ことによって、得る以外に、得ないという選択肢を知れた経験は、何にも代えがたく、私の人生をよりよくすることの助けになるだろうと感じた。
得ることも、得ないこともすべて自分の考えによって決まり、それによって私の人生は変わってくる。これからの人生、一度きりの人生を悔いの残らないよう生きるために、私は常に、私は何がしたいのか何を求めているのか、そのためには得ることがよいのか、得ないことがよいのか考えていきたいと思う。
「取捨選択だらけの私だけの人生」は一度きり。
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