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2/25「謎の夕刊が届く」ショートショート

2月25日 夕刊の日
1969年のこの日、駅売りの夕刊が日本で初めて創刊された

「ゆうかん」

 その声で我に返る。ゆうかん。夕刊? 夕刊なんてとっていない。うちに届いたのか。
 玄関をでて郵便受けに確認に行く。確かに夕刊が届いている。門から道路に出て左右を見る。夕刊を届けたらしい配達人の姿はない。
 
 どうすればいいのだろう。部屋に戻り、夕刊を眺める。間違えましたと配達人が取りに来る可能性もあるから、乱暴には扱えない。発行元か配達元か、どこかの連絡先がないかと、ていねいに新聞をめくってみる。連絡先を見つけることはできない。
 
 まあ、いいや。せっかくだから読んでやれと改めて新聞を眺める。文字は確かにそこにあるのに、なぜかぼやけて判別することができなかった。

それ以降。
「ゆうかん」
の声が聞こえると夕刊が届いている、ということが続いた。

黒いスーツを着た男が目の前に立っている。上品な口調で男が言う。
「夕刊が届くのですか」
「はい」
「届くときあなたは家にいますか」
「はい」
「お仕事は何を」
「市役所で働いています」
「そうですか。夕刊は何時に届くのですか」
「さあ、時間を確認しないので分かりませんが、16時くらいでしょうか」
「夕刊が届く時間にあなたはもう家にいるのですか。お仕事はどうされているのですか」

えっ…
矛盾。
脳がフリーズする。

それ以降。
「ゆうかん」
の声が聞こえても夕刊は届かなくなった。


「ああ、よかった目を覚ましたのね」

 目の前に、見慣れた妻の顔。しかし、痩せこけて疲れた顔をしている。どうしたのだろう。
 医者や看護師がきて、体をあれこれ検査し始める。そのうち父母がやってきて、よかった、よかったと繰り返し言いながらオレの手を握る。
 そんなこんなで、自分に何が起きたのか知るのに時間がかかってしまった。

 市役所からの帰り道、一軒の住宅から煙が出ているのに気づいた。あわてて駆け寄り、塀の隙間から家の様子を眺めると、閉め切った窓のむこうに倒れている子どもが見えた。オレはすぐさま助けに行った。子どもは煙を吸い込んで気絶していたものの無事。オレは煙を大量に吸いすぎたのか、意識不明でしばらく目を覚まさなかったらしい。

ゆうかんは、夕刊ではなく、勇敢。

 見舞いに来てくれた人が、子どもを助けて勇敢ね、とオレを称えるたびに、眠り続けるオレの脳は勇敢より夕刊に変換していたようだ。そしてそれに連想する夢をオレに見せていたのだろう。なんともお粗末。

 しかし腑に落ちないことが一つ。あの男はなんだったのか。
勇敢を夕刊と連想して、夕刊が届くイメージが出てくるのは分かる。
ではあの男のイメージはどこから来たのだろう。
それがいまだに分からない。

(了)


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