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名古屋が排他的と言われる理由

最初にお断りしておきます。
当記事の内容は、完全なる私見です。

一応、母の胎内に居た当時からずっと名古屋市民ではありますが、父は他地方から岐阜へ、岐阜から名古屋へと移り住んできた人です。
祖父母の中で、一番長く孫として接することができた母方の祖母は、岐阜出身です。
母も、幼少期(就学前?)のみは、岐阜で暮らしていたそうです。
私が育った地域は、全国からの転入者が多く、海外出身者もそれなりに居ます。
何代もに渡って名古屋市民の方、名古屋市内でも、よそからの転入者が少ない地域の方とは、違った背景をもっていることも、併せてお断りしておきます。

***

ここからが本題です。
(お断りの部分も、無関係とは言えませんが。)

正直なところ、名古屋が排他的と言われる理由が、よくわかりません。
私は母の胎内に居た時から地元民ですし、よそから移り住んできた父や伯母(父の姉)から名古屋の悪口など、まったく聞いたことがありません。
つまりは、排斥される側ではないということです。

でも、そんな私なりに、理由を分析をしてみます。

名古屋市は、旧尾張藩の一部です。
尾張藩は、江戸時代には徳川御三家として、常に次の将軍候補者と関係者の居住地でした。
参勤交代で江戸に向かう西日本の各藩にとっては、交通の要地。
宿場町や周辺の商人の町も、それなりの数があったので、地元民以外が入り込みやすい土地柄です。

次の将軍候補者や関係者に暗殺などの危害を加えようとする不逞の輩に目を光らせていなければいけないので、自然と警戒心が強くなり、遺伝子的に現代人にも受け継がれているのではないでしょうか。
特に、伝統的な何かを守り続けている町では、そのような傾向があるように感じます。

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