見出し画像

『伊良湖岬』(改稿版)

豊橋鉄道渥美線で三河田原駅へ

平成30年7月某日《ぼうじつ》、渥美《あつみ》半島の伊良湖岬《いらごみさき》へ。
とにかく、名古屋港以外の海が見たかった。
名鉄《めいてつ》(名古屋鉄道)で豊橋《とよはし》まで行き、初めて豊橋鉄道渥美線や豊鉄《とよてつ》バスに乗り換えた。

普段暮らしている大都市圏とは別世界の景色が、車窓を流れていく。
途中、視界が緑で埋まる。
車窓越しではあっても、むせ返るような草いきれを感じる。
緑の塊が目前に迫ってくると、その中に埋もれたような錯覚を起こす。

再び町が見えてくると、終点「三河田原《みかわたはら》駅」。
渥美線は、思っていたよりも運行距離が長い。
ここから、さらに豊鉄バスで伊良湖岬へ向かう。

改札を出ると、広い待合室に直結している。
炎天下の中、本数があまりないであろうバスを、涼しい室内で待てるのはありがたい。

自販機でミネラルウォーターを買い、喉を潤しながら、観光案内が流れるモニター画面に目をやる。
案内映像は同じものの繰り返し。
周囲を見渡すと、2階には貸しホールがあるのがわかった。

それはそうと、待合室の中にはバスの時刻表がない。
バスターミナルの各乗り場で確認するか、豊鉄バスのサイトを検索してみるか……。

一瞬だけ考えて、バスが来たら行き先を見て動こうと決めた。
ちょっと外に出るのもためらうくらいの暑さだから。
そんな中、はるばる田原市《たはらし》まで来たのだけど。
所要時間だけで言えば、もうとっくに名古屋から東京に着いている。

待合室の中をぐるっと一周歩いて、観光パンフレットをパラパラとめくってみた。
そうこうしているうちに、バスターミナルへ出て行く人が居る。
バスが来る時刻が近いのだろう。
少し遅れて、あとを追った。

その人が立っているのは、偶然にも、伊良湖岬方面の乗り場。
到着したバスの行き先表示には「保美《ほび》」とあるのに、乗り込んでしまった。

伊良湖岬に行けるかどうか、聞きもせずに……。

ちょっとした珍道中と出会い

しばらくは市街地で、想像よりもお店が多かった。

市街地を抜けると田園地帯になり、肥料の臭いがバスの中まで漂ってきたり、山が見えたり、山の中に入っていったり。
いかにも郊外らしい景色が続いた。

乗車してから、どのくらい経ったろうか?
山の斜面の道路から、海が見える。
遠い水平線も!

伊良湖岬には着いていなくても、名古屋港以外の海が見たいという思いは満たされた。

乗り込んだバスの終点「保美《ほび》」は、伊良湖岬の手前。
まだ先がある。
そのまま名古屋に戻ろうかと、道を渡った。

バス停で時刻表を見ると、次のバスまで20分以上ある。
近くのコンビニで時間潰しをすることにした。

イートインで冷たいフルーツソーダを飲んでいると、同じくバスを乗り間違えた若者たちが隣のテーブルに座った。
運転士さんに、伊良湖岬まで行きたいと言っていたコたちだ。

「バス、間違えちゃった?」
一人が気さくに尋ねてきた。
「間違えちゃった。豊鉄《とよてつ》バスに乗ったの初めてで……」
「難しいですよね」
「そう。伊良湖岬が、保美《ほみ ※》の手前なら良かったのにね。でも、もう戻ろうかなって……」
「え? バス、もうすぐ来ますよ」
(※この時点では「保美」の読みを「ほみ」だと思っていた。)

どうやら、私とは時間の感覚が異なるようだ。
伊良湖岬へ行くバスは、戻るバスと同じような時刻に来るのがわかった。
けれど、それは“すぐ”ではない。

「せっかくだから、やっぱり伊良湖岬まで行こうかな。もう海は見えたから、何となく満足しちゃったけど」
そう答えた相手に、ニコっとされた。

若者たちには、目的地で待っている人たちが居る様子だった。
同じバスに乗るからといって、お互いに行動をともにしようという雰囲気ではなかった。
コンビニを出るタイミングも、合わせはしなかった。

バスは遅れて来た。

コンビニからは一緒に出なかったけれど、待っている間に若者たちと
「バス、遅れてるね」
「こっち、涼しいよ」
などと、他愛のない会話をしていた。

住んでいる県内でも全く土地勘のない場所に居る不安が、やわらいだ。

保美《ほび》から伊良湖岬までは、思っていたよりも遠い。
途中で、一体いつになれば伊良湖岬に着くのかと、不安になるくらい。
特に、帰りつくまでの体力がもつかどうか……。

でも、あといくつバス停があるのかを知るために、路線図検索をする気にはならなかった。
知ったところで、伊良湖岬の場所は変わらない。
引き返すならどこで降りるのが適切なのか、判断できそうにもない。

これも、旅の醍醐味だと思おう。笑い話くらいには、なる。

若者たちは「伊良湖岬」の一つ手前のバス停「恋路ヶ浜《こいじがはま》」で降りて行った。

伊良湖岬に到着

終点の「伊良湖岬」で降りると、フェリーが目に入った。三重県の鳥羽《とば》方面行きらしい。
体力とお財布の中身に余裕さえあれば、好奇心でフェリーに乗ってしまったかもしれない。

それにしても、暑い。建物の中から、海を見ることにした。

飲食コーナーに何があるか、ざっと見てから土産物コーナーへ。
目当ては、ご当地キティちゃん。
名古屋市内で見たことがあるものばかりの中に、あさりキティちゃんを発見!

あさりキティちゃんの根付を手に取り、レジに向かうと、ジェラートの誘惑が待っていた。
珍しい味がいくつもあって、迷いながらキャロット味を選んだ。
地元農業高校製作というのが、決め手になった。

窓辺のベンチに座り、ジェラートを食べながら海を眺めた。
疲れのせいか、海が放つエネルギーに、自然に対する畏怖《いふ》の念を抱《いだ》いた。

この感覚は、25年前に東京の新宿御苑《ぎょえん》を訪れた時以来のものだ。
かなり樹齢を重ねているであろう大樹のエネルギーに、圧倒されたことを鮮明に覚えている。

ゾクッとくる感覚に、その場を離れた。

ジェラートはカチカチに凍っていて、食べるのに少々苦労をしたけれど、その時にはもう食べ終えていた。
ベンチを離れて、遅めのランチを食べることにした。

ランチタイム

飲食コーナーに向かう前に、バスの時刻表を見た。
フェリーの乗車券売場に大きく掲示してくれているのが、助かる。

終点が「三河田原《みかわたはら》駅」でなく「豊橋《とよはし》駅」のバスもある。
「豊橋駅」が終点のバスも、「三河田原駅」を通る。
どちらにしても、1時間に1本しか来ない。
ランチをゆったり食べる時間はある。

ご飯ものを食べられる一番大きな飲食店は、食券制だ。
食券販売機が1台しかなく、割と長い列ができていた。

「何度向きを変えて入れても、お札が戻ってくる。」と困っている家族連れが居た。
たまりかねてお店にお札の交換を頼みに行ったら、「お札を換えても、そういうことがよくあるから。」と言われたらしい。

つまり、お札の交換はなし。
機械のメンテナンスは、どうなっているのだろう?

「そうかもしれないけど、換えないところが田舎らしいよね。」
笑いながら、何度も戻ってくるお札を入れ続け、ようやく食券を手にした家族連れ。

並んでいる人たちが誰も文句を言わなかったのも、ピリピリした感じにならなかったのも、土地柄かもしれない。

私は、しらす丼を選んだ。しらすは常温というよりも、生ぬるかった。
それでもいい。

“伊良湖岬で海を眺めながら食べる”ことに意味がある。
名古屋市内でパック売りされているしらすを買うのとは、気分が違う。
しらす丼を食べ終えたあとは、もう一度、土産物コーナーへ戻った。

帰路(きろ)~再び三河田原駅へ~

バス乗り場に出ると、日傘では防げない照り返しがキツかった。

帰りは「豊橋《とよはし》駅」が終点のバス。
豊橋経由で帰るには違いないので、終点まで乗ってもいい。
けれど、同じ姿勢でいるのは、長時間になればなる程つらい。
車体の揺れからくる負担は、電車のほうが軽い。

「三河田原《みかわたはら》駅」で乗り換え、行きと同じ経路で帰ることにした。

日頃、バスで千円以上の現金を払うことがないので、降車の際に戸惑った。
ICカードには対応していない。

行きは乗り間違えて、2回ともバス内で両替をしてから小銭で支払いをした。
なので、千円札をどこに入れるのかがわからず、もたついた。
運転士さんに声をかけると、千円札を笑顔で受け取ってくれた。

帰路~豊鉄渥美線(とよてつあつみせん)から名鉄(めいてつ)名古屋本線へ~

次に渥美線や豊鉄バスに乗るのは、いつだろうか?

次は、花が咲き誇る季節に「伊良湖菜の花ガーデン(旧:伊良湖フラワーパーク)」に行ってみたい。
伊良湖岬よりは近いし、調子のいい時を選んで。

伊良湖エリアは“近くて遠い場所”として長年行きそびれていたけど、一度行ったので自信が持てる気がする。

そんなことを考えながら、車窓から遠くを眺めているうちに、終点「豊橋《とよはし》」に到着。

名鉄に乗り換える前に、駅ビルの中を歩いてみた。
入りたかったカフェは分煙で、入口まで臭いが漂っていたのが残念。

移動の疲れで、きっと夕食の支度はできないと思い、お弁当を買った。

電車は、途中までは確実に座りたいので、特急の特別車両を選んだ。
途中まで……というのは、特急の停車駅は限られているから。

乗ったのは展望席のある数少ない列車だったけれど、展望席にはならなかった。
券売機の座席希望画面で「どこでもいい」を選んだせいか……と後悔した。

後日、展望席に座るには、その画面で「展望席」を選べばいいとわかった。
そう、展望席がある場合だけ表示されるボタン。
特別車両の中でも、展望席は特に“特別”なのだ。

ラッシュアワーでも、途中で乗り換えをしたあとも、運良く最後まで座っていられた。
帰宅してからお弁当を食べたのも、旅の一部。

少し不安になったり、戸惑ったりもしたけれど……。
気さくで優しい若者たちとバスの運転士さんたち、親切なコンビニの店員さん、車窓や伊良湖岬からの眺め、地元農業高校製作のジェラート、しらす丼、あさりキティちゃん、のんびりゆったりとした土地柄が、平成最後の夏の思い出に加わった。

***

この作品は、オーディオブック配信プラットフォーム「Writone(ライトーン)」で有料販売をしているため、「アルファポリス」のルールに則って、非公開にしました。

その2つのサイトで微妙に文章が異なっていましたので、初期の文章を採用している「Writone(ライトーン)」から転載しています。

伊良湖岬を訪れたこと自体もいい思い出ですし、「アルファポリス」では初めて公開したこの作品で、「エッセイ・ノンフィクション部門」最高2位を獲得できたのは、この先ずっと、創作の原動力になり続けそうです。

アルファポリス 伊良湖岬 順位 2018.9.22. その2
アルファポリスの「エッセイ・ノンフィクション」部門で2位を獲得した際の記念スクショ

***

Writone版『伊良湖岬』(オーディオブック)

怪談師・朗読者のみちくささんによる有料版には、特典としてライナーノーツが収録されています。
みちくささんファンの皆さま、この作品『伊良湖岬』ファンの皆さま、ぜひお買い求め下さい♪

***

『伊良湖岬』(初稿版)

よろしければ、読み比べを。

(2022年11月7日 追記)
「保美」の読み方が、正しくは「ほび」だと判明し、ルビを訂正しました。
台詞の部分は、実際の言葉を再現する意味で、当時の認識のままにした上で注記してあります。

「Writone」は、公式Twitterアカウントによると「不具合」とのことで、半年近く利用できなくなっています。

アルファポリス版は、再公開しています。

有料記事は、note IDがなくても、ご購入いただける設定をしています。 無料記事に対するサポートもお待ちしています♪ note指定の決済手段がない方は、ご連絡願います。