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リトルマーメイドの配役が嫌だった

このnoteは自分への戒めとして書く。
恥ずかしいけれどありのまま。忘れてしまわないように。

※この文章は映画「怪物」のレビューではないけれど、ネタバレを含みます。
怪物を見る予定がある人は、どうか映画を見て
から読んでください。

リトルマーメイドの配役が嫌だった。
「これは差別とかじゃなくてさ」を前置きにしてたらたら自論述べていたけれど、要約すると「実写化するなら原作に忠実にしてほしい」というものだった。

ハリー・ベイリーがディズニー作品のプリンセスになるのが嫌なのではない。
彼女は歌が上手いし、可愛い。彼女が主役をやる作品が見たい。素直に。
だけど「アリエルは違うやん」と、そう思っていた。

私はムーランをエマワトソンがやっても嫌だし、モアナをアンハサウェイがやっても嫌だし、アリエルを石原さとみがやったって嫌なんだ。それは人種云々ではなくて、「原作と違うのが嫌」という思いからくる拒絶感だった。

私は昔からディズニープリンセスが大好きで、その中でも1番の推しはアリエルだった。
20歳の誕生日には大きな水槽のあるレストランでお祝いしてもらったし、ディズニーシーに行っても真っ先に駆け込むのはマーメイドラグーンだった。

アリエルのサラサラとした赤毛と真っ白な肌、キュルンとした瞳、くるくると変わる表情。そのどれもが私には手に入らないものだけど、手に入らないものだから憧れた。

プリンセス映画が順番に実写化される度に映画館へ足を運んだ。
そしてそのどれもが想像を遥かにこえて原作に忠実、かつ素敵だと目の当たりにする度、いつかリトルマーメイドも実写化されるに違いない、そしてそれは原作に忠実でなおかつ想像を越えてくるはずだ、と人知れず待ち侘びていた。

だからこそ、配役が発表された時に驚きと同時にショックを受けたのだ。
単純に、「私の知っているアリエルと違う。嫌だ」という感想だった。

ハリーベイリーに不満があったというよりも、そのキャスティングをした誰かに物申したかった。
ふつふつと湧く感情を抑えながらSNSを開くと私と同じような意見の人がたくさんいたけれど、その誰もが「差別だ」と非難されていた。

私はそれらに目を通しては、「それは差別とは違うやん!」と頭の中でだけ反論していた。私たちはただの原作ファンで、そのイメージを守りたいだけなのだ。決して差別心で言っているわけではなく、ファンとして正式な抗議をしているのだ、と。

と、そんな中ふと、ここまで書いたような拒否反応が、アリエル以外にも起こっていたことに気付く。

例えばディズニーの園内放送から「レディースアンドジェントルメーン」というお決まりのセリフが消えてしまったというニュースを読んだ時も、「あれは私たちの思い出の耳に残るセリフなのに、わざわざ変えなくてもいいじゃん!」とピリっと心にヒビが入った気がしたし、自分の好きな映画の続編に、ことごとくそれも不自然なほどにLGBTQのキャラクターが増えていくのを見た時もそうだった。

LGBTQ含む、性的マイノリティの人達に不満があったわけではない。
それこそ私は自分の中に差別心なんて全くないと自負していたからこそ、この拒否反応は正当なものだと思っていた。

だって私の周りには、幼い頃からいろんな特徴を持ったともだちがいたんだ。
男の子に恋する男の子もいたし、告白をしてきた女の子もいた。
肌の色が違う友達もいるし、勿論その誰もに嫌な感情を持ったことなんてなかった。

だからこれはさ、彼らへの差別とかではなくて。
そうじゃなくて、まるでそれが「入れなきゃ批判を浴びるから」と無理矢理ねじこむことが課題とされているかのように、ありとあらゆる作品が不自然に「配慮」によって変えられていくのが怖かったんだ。怖かったし、既存の作品まで根こそぎ変えていく必要性がいまいち分からなかった。

もっとごく自然に溶け込むような形で本当に必要な配慮を行うべきなんじゃないかって。それが彼らのためでもあるんじゃないかって、勝手にそう思っていた。

だけど、それらがどれだけ的外れだったのか、今日気づいてしまった。
大きな要因となったのは、私が大好きな脚本家、坂本裕二さんの作品である「怪物」を見たこと、そして私が息子を産んだことだ。

「怪物」のレビューはしない。あらすじも書かないし、感想も書かない。
そのどれもが薄っぺらくなる気がして、まだ言葉にする勇気が持てないから。
だけどこの文章を書く上で主人公がクィアの当事者であることには触れなければならなかったから「ネタバレ」と書いた。

さて、私の息子。
彼はまだ0歳。あたりまえに自我なんてめばえていないし、
彼が男性の心を持つのか、女性の心を持つのかも、今はまだ分からない。

そういう意味で、私の気持ちは、「怪物」でいえば安藤サクラさんの演じた湊の母という当事者に近づいた。というより、ある種の当事者になったのだ。

その視点を持ってあの映画を見終わった時、私が軽い拒否反応を起こしていた、「やりすぎじゃない?」と思っていた世の中の変化の意味が分かった気がした。

世界がひっくり返った。

端的に言えば、「お前のためにやっていない」である。
当たり前なんだけど、私は自分勝手で馬鹿だから、そこに気づけなかった。
世の中がどうしてこうも急ピッチで変えられていく必要があるのか。
もうひとつの視点が抜け落ちていたのだ。

もうひとつの視点、それは、私が胸に抱いているこの息子が見る未来だ。

今、目まぐるしく、違和感を持つほどに「多様性」を組み込んだ作品が大量に作られているのは、勿論今いる当事者の方々への配慮もあるだろうし、「これを受け入れなさい」という現代を生きる私たちへの啓発もあるのだろうけれど、だけどそんなことよりも。

彼らが作りたいのは、守りたいのは、語りかけているのは、「未来」なのではないだろうか。

私の息子。この子の物心がついた頃。
その頃には今どっさりと作られている「多様性」を謳った作品が、たんまりと周囲に溢れているはずだ。それこそ、ありふれたものとして。

私たちが「やりすぎだ」と感じるほど、「押し付けないで」という人が出るほどにしつこく、急速に作られているその多様性の土台は、未来の息子が立つ世界の地となる。

そこに生きる息子にとって、

ディズニープリンセスの昔ながらのメインキャラクターに多種多様な人種のお姫様がいること。

ありとあらゆる作品の多くに性的マイノリティという側面を抱えながらイキイキと生きる登場人物がいること。

お姫様がお姫様に恋をしたり、ドレスを脱ぎ捨ててズボンに履き替えて誰かを助けたり、はたまた編み物好きなピンク色の服を着たイケてるヒーローが出てきて「めでたしめでたし」で終わる、そういうおとぎ話が溢れていることが。

そういうものにありふれた世界が、どれだけこの子の救いになるだろう。

少なくとも「怪物」に出てくる依里や湊のまわりがそんな世界だったら、彼らの周囲にいる人間から出てくる言葉は、表情は、態度は、そして彼らの結末は、多分変わったはずだ。

あの映画を見た後、「私の息子がそうだったら、どうすれば救い出せたのだろう」と考えた。答えが出なかった。だけど同時に、「救い出すってなんだろう」とも考えた。
少なくとも「救い出さなければいけない」現代は、まだ誰もが手に入る幸せに溢れてはいない。

だけど、アリエルをハリーベイリーが演じたり、バズ・ライトイヤーの作品にLGBTQ当事者として生きる登場人物が出てきたり、プリキュアに男の子が演じるヒロインが出てくることで、それが当たり前になることで、もしも私の息子やその友達が当事者となった時、「言えない」と苦しむ機会は間違いなく減るのではないか。

だって「ありふれたこと」だから。
それがその子たちにとっての「普通」になるのだから。

そうすればもう、湊や依里を救い出す必要なんてなくなるんじゃないか。

そう考えると、大手企業がこぞって「配慮」しはじめた理由の見方が変わってきた。
それは単なる綺麗事による所謂「ポリコレ」ってやつじゃなくて、もっともっともっと先に生きる子供達のために、急ピッチで行われている土台づくりなんじゃないかって。

できるだけ早く、多くの世代にとっての「あたりまえ」を塗り替えたいから、
できるだけ誰も違和感を持たず、できるだけ苦しまずに生きてほしいから。
そんな世界をできるだけ早く実現させるために、今を生きる私たちがちょっとついていけないくらいにこんなに急いでいるんだって考えると、途端に自分自身が感じた「不満」の自分本位さが情けなくなって、恥ずかしくなった。

どうして私は、全てが私のためだけに配慮されたものだと思っていたのだろう。
湊が依里との関係を、まだまだ嬉しそうに報告できるような世界ではないことを知っていたくせに、どうして「そんなに焦らなくても」と思っていたのだろう。

ばかだ。恥ずかしいがすぎる。

私が子供の頃にはどうしても、「女の子はピンクが好き」で、「ふりふりのドレスを着たお姫様が王子様に惚れられて結婚がめでたしめでたし」だったわけで、今もそれが幸せだという価値観は、なんだかんだで心に根付いていると思う。

そういうのを変えていく。
その先に息子の心が。
もしピンク好きな女の子でも、ドレスを着るのが好きな男の子でも、男の子が好きな男の子でも、はたまた女の子だったとしても、「変わってるよね」と線を引かれずに、「そういうのもあるよねえ」とただただ自然に受け入れられる世界があるのだとしたら、心から素晴らしいと思う。そしてそれを目指してくれていることが、親としてとてもありがたいと思う。

息子ができて初めてこんなことに気づいたという時点で、私はなんだかんだ無知で他人事で、思いやりの気持ちがぜんっっっっぜん足りていなかったのだなと心から反省した。変えていこうと思った。

少し前の私みたいな人がまだまだ溢れているこの世界で、未来のために世界を変えようとしてくれている皆さん、本当に本当にありがとう。今日からは私も、少しずつで良いからそっち側にいけるかな。

ひとまず、抱っこシアターでリトルマーメイドが見られるらしいので、家族みんなで行ってくる。
息子よ、あなたがどんなあなたでも住みやすい世界にできるよう、お母ちゃんたち大人は頑張るよ。

yuzuka

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